追入砦(仮称) 篠山市

金山城へはR176号鐘ヶ坂トンネル(三代目の平成のトンネル)篠山側出口交差点左折し、西への旧道に入り大手口となる追入神社から辿るのが一般ルートです。宿場町風情が残る集落内への入口には「伊能忠敬 篠山領測量の碑」が建つ。
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此処は文化11年(1814)2月柏原から金(鐘)ヶ坂まで測量・国料(領)村に入る追入峠(瓶割峠か?)まで測量して追入村に止宿した旨が記されている。追入神社の西には追手神社(スプリングエフェメラルを愛でるスポットとしても有名!!)もあり、
       金山城登山口近くにある町浦古墳
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二つの神社と「金山・鐘ヶ坂」由来の昔話が大山地区に残るが、此処では割愛。金山城へと登山者が向かう西とは反対に、何があるの…?と不審がられるが馬頭砦(仮称)から下山後:東側の大山川に裾を濡らす極低丘陵に向かいます。
          主曲輪
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R176の東向かい正面には大山川にその山裾を落とす丘陵の山上部東西50mばかりの城域には荒廃し、緩斜な尾根筋に崩れて段差も低く・切岸加工も曖昧な小曲輪群があるだけだが、尾根続きの北面直ぐ下方には浅い堀切をもつ単郭の砦がある。
      主曲輪西南下に続く荒れた曲輪群
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堀切がなければ城砦遺構として見過ごしていたかも…?。丹波市側・篠山市側を結ぶ昭和のトンネル手前左手から鐘ヶ坂へのルートや、此処を右手に明治のトンネル側谷筋を詰め丹波市春日町国領に越える瓶割峠への要衝監視を担う砦だが明智光秀にとって夏栗山砦・佐中峠・譲葉山に砦を設けたように
       主曲輪からの尾根続き北斜面下にみる堀切
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通行監視の最重要地点で氷上・多紀両郡を分断する明智勢の金山城に付随する砦だろうか。一時期とは云え金山城・馬頭砦ともに大山荘を占有していた三好長慶・松永久秀にとっても同様。

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