井階山城塞群(仮称) 丹波市氷上町伊佐口

西脇市方面からの加古川沿いR175号を北上し、嘉暦2年(1327)仁木頼章が築いた当初の高見城(佐野城)の城下:佐野(氷上町南地区?)に入ってくると、氷上盆地の加古川沿い(氷上回廊)の桜並木の先・霧山城との西が開ける其の北奥に山と空が重なり同化して見辛いが三っばかりの瘤を連ね五台山へと延び上がる標高僅か400m足らずだが岩稜を聳立させて目立つ丘陵尾根が・五台山の前衛峰として
  香良口から井階山南城(中央)と北城(右端ピーク)…更に右へは五台山に続く
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他を凌駕して立つ五台山西南尾根と鷹取山(丹波鑓)・五大山への主尾根に囲まれる南や西山麓の伊佐口・香良・絹山の三地区に独古の滝・浅山不動尊から流れ出る香良谷川(上流は伏流だが)が中央部を加古川に流れ出る。此処:香良谷へはR175号「稲継」交差点を左折し県道7号(を北へ進むと春日町黒井方面から霧山東麓の
       位階山山頂(井階山南城主郭)から東峰への尾根
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天王坂を下ってくる街道が「桟敷」交差点で合流する。此の付近が細川家内紛に細川晴元方の黒井城の赤井・荻野一族と、氏綱方の足立・芦田氏勢力も荻野・赤井一族の台頭に危機感を募らせ丹波守護代内藤氏らに働きかけての覇勢を競う香良合戦に発展し芦田・足立連合軍と荻野・赤井一族が対峙した”境目!?”。
       井階山南城主郭(南面から)
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三好長慶・松永久秀らの策謀によるものか?口丹波の八上城攻めには失敗したが今度は奥丹波の黒井城へ侵攻を図る。香良谷に入った三好軍とは赤井/荻野一族を討つための芦田氏・足立氏らと利害関係で一致しており、此処に集結していたところ前年:天文23年(1554)荻野直正が叔父の黒井城主:荻野秋清を刺殺した下克上に荻野・赤井双方ともに積年の遺恨を持つ不満分子!?もおり合流したかたちなのか?。
       南城:西尾根末端曲輪
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肝心の合戦時に三好軍は参軍していない(間に合わなかった)とされ、また一方赤井・荻野一族を救援したとされる霧山城の城主:波多野宗高も実像が見えない架空の人物か?、西波多野氏の城というが既に存在していたものかさえ不明。八上城の波多野氏も丹波氷上に救援に入ったかは不詳!?。細川家内紛の代理戦争ともされる:其の実像さえ少し怪しくみえてくる。
        南城西尾根筋の竪堀(中央右手)
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香良合戦主戦場の加香良住吉神社の南・地蔵ヶ端(陣道ヶ原)で双方が激突するが香良西砦(小屋山城・円悟寺裏砦)からの西尾根先端の地蔵ヶ端に五輪塔(合戦戦没者供養塔と云われる)を祀る。また”丹波志古城之部”(香良村ノ奥)の最終行?「…小屋尾の北に…隠レ谷…」とあり城砦ありとまでは記されていないが、主戦場真北:位階山から南方へ延び出す尾根先端部が伊佐口の稲荷神社と西光院間になる。
        南城東峰主曲輪と崖状の北斜面
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井階山からの丘陵尾根が五台山へと延び:氷上町鴨内を分け、伊佐峠の北に鴨内の仮称:鴨内城(隠ガ谷城)側がある。伊佐峠を南に下ると、谷沿いに此の加香良神社や西光院・稲荷神社前に降りてくる。井階山城塞群Ⅰ伊佐口砦(仮称 城郭参考地) 215m】井階山へは五台山の縦走路の試登!を兼ね、二度も歩いているが、
     南城東岩峰から香良合戦主戦場(手前)を分け由良/桟敷へ突出す丘陵
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藪っぽい山頂に展望もなく・山城を意識することもなかったのだが…。伊佐口の稲荷神社近くから急斜面だが井階山へ延びる尾根筋の南端部に登り着くと幅10m程の大小数段の平坦地形があり殆ど気付かないほど浅い凹地形(5x10m程 空堀か?)を見る。井階山山頂部まで長い登りが続くだけに此の場所に物見砦でもなければ
      北面帯曲輪・段曲輪から井階山(城砦群)北城主郭
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井階山城塞群Ⅱ井階山南城(仮称 井階山325.8m】の岩場を抱く丘陵尾根上の中郭と東に僅かに高く感じる326m?ピーク・尾根筋西下へ100m程に三ヶ所程の曲輪を持つ西郭があるが長短の段曲輪をならべるだけだが此処だけに竪堀状を二本ばかり見るが、崩壊地形や崖状部の敷設は自然地形なのかも…?。
    井階山(城砦群)北城主郭から北面の段曲輪/帯曲輪
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尾根筋左右は露岩・岸壁で登高欲を削がれる程の天然の要害だけが防御手段の孤立した城砦部。位階山東峰からは東方に更に高く天を突く鋭峰が目に入る。井階山城塞群Ⅲ井階山北城(仮称370m】が此処にあった。北城へは城塞群Ⅱの東郭からは幅狭い岩稜帯の激急斜面を鞍部に下り、その登り返しも甚だ急斜面の登り。
      井階山北城南岩稜部:曲輪域確保の土留め石積
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香良合戦場は足下に一望できるが、参戦するには余りに高く遠いので築城時期はともかくとして、香良城や沼城と同様に芦田氏・足立氏が領内監視等で”井階山城塞群Ⅰ【伊佐口砦(仮称)を除き事前より築造されていた城砦群か?。北城は露岩の多い南部を除き各曲輪・帯曲輪群群は切岸は低いが保存は良好…曲輪端の土留め石積・石列もある。
       井階山北城:主郭をほぼ周回する帯曲輪と北斜面の段曲輪
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主郭からの主尾根筋は北の鴨内へ下るが、東への激急斜面を下り伊佐峠に降立つ。縦走登山なら此より475mを経て五台山へ向かうのだが、伊佐口地区最奥の寺マーク(廃寺跡?で横穴式石室が遺る古墳で中型古墳だが伊佐口古墳群としての表記を見ない!?)からスタート地点に戻った。次回は香良地区か?絹山地区または北由良地区に香良合戦前夜:?に両勢力が急造したと思える城塞群を… 

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