四季山城 Ⅱ(義経道) 篠山市
四季山城Ⅰでは四季山城東麓にある源義経ゆかりの伝承地馬口池について殆ど触れなかった!が、四季山城の南側を通るR372号(デカンショ街道)は寿永3年(1184)源平の戦いに:源頼朝の命を受けた源義経が、平家討伐のため京都から鵯越・一ノ谷・須磨浦・湊川へと、口丹波の亀岡から天引き峠を越え
四季山東麓の馬口池
福住宿を京街道(デカンショ街道)や多紀方面へ廻る篠山街道を通り篠山市内を駆抜けた際、各地・各所々に義経に纏わる伝承地を残す。真南条街道(R372号・デカンショ街道)の”木枕”通過の際には武運を祈り春日神社に鞍を奉納して戦勝を祈願し、飼葉を与え・近くにある池で馬の口を洗った(水を飲ませた)伝承の馬口池があり、
鷲尾三郎:供養塔
直ぐ木枕の西方にもよく似た伝説”鞍掛山”がある。また源義経には二人の三郎が追随していた。神戸北区山田の山師(猟師):鷲尾三郎義久は篠山市鷲尾が出身地と云い、義経軍の道案内、義経四天王の一で剣豪伊勢三郎義盛がおり、篠山川を挟む北方には県道301号鳳鳴高校北に笛吹山(笛吹山城)がある。
伊勢三郎:供養塔
笛吹山瑠璃寺(笛の薬師)で義経が暫し休んだ境内の松に掛けていた愛用の笛が、風を受けてか不意に鳴り出し・其れに合わせて裏山から太鼓の音が響いてきたと云う伝承がのこり、”二人の三郎”の供養碑も周辺の西方・北方にある。此の301号線へはR372号を福住で分かれR173号に入り細工所に向かうコースの
那須与市・的に当り矢の絵馬(現状はコロナ禍か?絵馬は無し)
井串に那須与一宗隆ゆかりの寺・瑞祥寺があり那須与市大権現(此のリンク頁の最終項を参照)の堂がある。伊勢三郎・鷲尾三郎等と共に従軍し一ノ谷に向かう途中:この地で突如病に罹かり動けなくなったが瑞祥寺(元:法楽寺?)に祈願し快復・更に本尊阿弥陀如来の霊符を携えていたため翌:寿永4年(1185)4月壇ノ浦の戦いには有名な「扇の的」武勲を立てた伝説が残る。
那須与市大権現堂
四季山城の馬口池の伝承からも篠山市内の義経道は篠山川沿い南北の街道を二手に分かれ(R372号から不来坂へ:もう一方はR173号から県道702ー301号を経て)R372号に合流したものか?。日置の”剛山”にも此処で休んだ伝承があるので、更に八上城下まで進み:西方でR372号・R301号笛吹山南麓の鳳鳴高校方面に分岐するので、此処で二手に分れたのかも…?…何れのコースにも義経が居る…!!?。
住山口の「名無し木」
市街地を抜け加東市社の三草山に至るまでにも古市の住山口(不来坂手前:松尾山・白髪岳登山口)で合流したか?此処には名無し木伝承がある。今田町へ越す不来(こぬ)坂や同様の胡桃畷(くるみなわて)・更に下った四斗谷に偽首(うそかくび)…等字名に義経伝説がある。四季山城のある木枕を過ぎた西:真南条の街道通過には龍蔵寺や槙ヶ峰千軒坊を焼払いながら通過し(龍蔵寺合戦!!=弘治3年には三好長慶・松永久秀軍とも交戦しているが…)不来坂峠を越えて社(加東市の)三草山合戦に勝利し一ノ谷へ向かった。
四季山と馬口池(ばくちいけ)

四季山東麓の馬口池
福住宿を京街道(デカンショ街道)や多紀方面へ廻る篠山街道を通り篠山市内を駆抜けた際、各地・各所々に義経に纏わる伝承地を残す。真南条街道(R372号・デカンショ街道)の”木枕”通過の際には武運を祈り春日神社に鞍を奉納して戦勝を祈願し、飼葉を与え・近くにある池で馬の口を洗った(水を飲ませた)伝承の馬口池があり、
鷲尾三郎:供養塔
直ぐ木枕の西方にもよく似た伝説”鞍掛山”がある。また源義経には二人の三郎が追随していた。神戸北区山田の山師(猟師):鷲尾三郎義久は篠山市鷲尾が出身地と云い、義経軍の道案内、義経四天王の一で剣豪伊勢三郎義盛がおり、篠山川を挟む北方には県道301号鳳鳴高校北に笛吹山(笛吹山城)がある。
伊勢三郎:供養塔
笛吹山瑠璃寺(笛の薬師)で義経が暫し休んだ境内の松に掛けていた愛用の笛が、風を受けてか不意に鳴り出し・其れに合わせて裏山から太鼓の音が響いてきたと云う伝承がのこり、”二人の三郎”の供養碑も周辺の西方・北方にある。此の301号線へはR372号を福住で分かれR173号に入り細工所に向かうコースの
那須与市・的に当り矢の絵馬(現状はコロナ禍か?絵馬は無し)
井串に那須与一宗隆ゆかりの寺・瑞祥寺があり那須与市大権現(此のリンク頁の最終項を参照)の堂がある。伊勢三郎・鷲尾三郎等と共に従軍し一ノ谷に向かう途中:この地で突如病に罹かり動けなくなったが瑞祥寺(元:法楽寺?)に祈願し快復・更に本尊阿弥陀如来の霊符を携えていたため翌:寿永4年(1185)4月壇ノ浦の戦いには有名な「扇の的」武勲を立てた伝説が残る。
那須与市大権現堂
四季山城の馬口池の伝承からも篠山市内の義経道は篠山川沿い南北の街道を二手に分かれ(R372号から不来坂へ:もう一方はR173号から県道702ー301号を経て)R372号に合流したものか?。日置の”剛山”にも此処で休んだ伝承があるので、更に八上城下まで進み:西方でR372号・R301号笛吹山南麓の鳳鳴高校方面に分岐するので、此処で二手に分れたのかも…?…何れのコースにも義経が居る…!!?。
住山口の「名無し木」
市街地を抜け加東市社の三草山に至るまでにも古市の住山口(不来坂手前:松尾山・白髪岳登山口)で合流したか?此処には名無し木伝承がある。今田町へ越す不来(こぬ)坂や同様の胡桃畷(くるみなわて)・更に下った四斗谷に偽首(うそかくび)…等字名に義経伝説がある。四季山城のある木枕を過ぎた西:真南条の街道通過には龍蔵寺や槙ヶ峰千軒坊を焼払いながら通過し(龍蔵寺合戦!!=弘治3年には三好長慶・松永久秀軍とも交戦しているが…)不来坂峠を越えて社(加東市の)三草山合戦に勝利し一ノ谷へ向かった。
四季山と馬口池(ばくちいけ)
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