丹生山 Ⅰ(丹生神社・明要寺) 神戸市
丹生・帝釈山系の丹生山514m-帝釈586m-稚児ヶ墓山596m-花折山574m-金剛童子山566mへは平成10-11年に縦走したが山麓・山中の登山道には「太陽と緑の道」道標が立ち随所に史跡や伝説地が散存する歴史の山道でもある。丹生(にぶ)山(516m)の山上には「史跡丹生山城 丹生山明要寺」の石碑が立つ其の先:帝釈山系への
衝原湖
縦走路に入る分岐点左手に丹生(にぶ・にゅう)神社が鎮まる…一般的に?「たんじょう」山とか「たんじょう」神社と呼ばれているが…。「丹」は”丹頂鶴”を例にすれば分かり易いが”朱や赤”を指す。私の郷土は「丹波赤米の里」で平城京跡出土の木簡に「氷上郡井原郷(山南町井原)の赤搗米(赤米)があり、
義経道(丹生山登山口のサイクルセンター)丹(あか)い米が波打つように穣かに稔る意味の「丹波」に由来するとも…。水銀の原鉱である辰砂(別名:丹砂・朱砂・赤色硫化水銀)日本では古来「丹(に)と呼ばれた(Wikipedia参照)赤土を産する地において丹生氏族が水銀の生産を行った。
登山道左右に旧明要寺衆徒墓石群!?)を見ると山上(明要寺・丹生神社)も近い!?丹生神社の祭神丹生都比売命は此の辰砂の産出を司る神でもあり、水銀鉱業を生業とする丹生(にう・にぶ)氏族の氏神。神功皇后の三韓征伐(朝鮮新羅出兵)に由来する(主に関西圏各所に遺る)伝承に火や血の赤色は死霊封じ・活力や蘇生にと
丹生山城・明要寺跡石垣と山王権現社?(西・北・東三方を石垣囲み)霊力を得られると…ベンガラ(鉄丹)や辰砂の朱塗り埋葬棺が確認されたり…朱が呪術的に信じられた古代社会では「武器や衣服に:丹(赤土)を塗り戦えば勝てる…」との丹生都比売命の神託に従い戦勝した「播磨風土記」の伝説にある。”日本書紀”によると百済王朝第26代の聖明王の王子”恵(童男行者を名乗る)”の使者が
衝原湖登山口近く!の蝙蝠谷側にある抗口は辰砂鉱山跡なのか?(未確認)
仏像(釈迦如来像)・経典・仏具を、第29代欽明天皇(在位539-571)の13年(552)に献上した日本仏教伝来(元興寺≪飛鳥寺≫縁起に538年説有)に始まり第33代:推古天皇(在位592-628)の時代に仏教興隆の詔(命令)が出され各地で寺院建立が始まるが…明要寺建立は仏教伝来起源以前!?の最古社。
史跡丹生山城・明要寺跡平安末期の治承4年(1180)平清盛の遷都の際・福原京(兵庫区)鎮護として堂塔を整備し、比叡山の日吉山王権現を勧請して祀り・月参りしたと伝えられる差詰め”西の比叡山”で福原京を起点に丹生山神社頂上までの町石を建立したと云われる…が延暦寺の蜂起・源頼政の挙兵等政情不安により遷都未完のまま京へ環都している。
丹生神社(本殿:拝殿)左下へ藪を切開かれた南斜面に5-6段曲輪群がある!!(石龕寺にも30基ほどの町石(丁石)が遺る)。西の比叡と呼ばれる明要寺は比叡山の守護神「日吉山王権現」を勧進:神の使者は猿。長寿延命・無病息災・厄除開運・心願成就の庚申信仰:2022年の庚申の日は3/8・5/7…60日毎なので早速祈願のお詣りを…
丹生山 Ⅱは丹生山明要寺を兵糧輸送補給基地とした三木合戦
丹生山城 Ⅲ(丹生山城)では丹生神社~シビレ山への北尾根に展開する山城遺構…
丹生神社社務所下段に祀られるのは青面金剛像か?

衝原湖
縦走路に入る分岐点左手に丹生(にぶ・にゅう)神社が鎮まる…一般的に?「たんじょう」山とか「たんじょう」神社と呼ばれているが…。「丹」は”丹頂鶴”を例にすれば分かり易いが”朱や赤”を指す。私の郷土は「丹波赤米の里」で平城京跡出土の木簡に「氷上郡井原郷(山南町井原)の赤搗米(赤米)があり、
義経道(丹生山登山口のサイクルセンター)丹(あか)い米が波打つように穣かに稔る意味の「丹波」に由来するとも…。水銀の原鉱である辰砂(別名:丹砂・朱砂・赤色硫化水銀)日本では古来「丹(に)と呼ばれた(Wikipedia参照)赤土を産する地において丹生氏族が水銀の生産を行った。
登山道左右に旧明要寺衆徒墓石群!?)を見ると山上(明要寺・丹生神社)も近い!?丹生神社の祭神丹生都比売命は此の辰砂の産出を司る神でもあり、水銀鉱業を生業とする丹生(にう・にぶ)氏族の氏神。神功皇后の三韓征伐(朝鮮新羅出兵)に由来する(主に関西圏各所に遺る)伝承に火や血の赤色は死霊封じ・活力や蘇生にと
丹生山城・明要寺跡石垣と山王権現社?(西・北・東三方を石垣囲み)霊力を得られると…ベンガラ(鉄丹)や辰砂の朱塗り埋葬棺が確認されたり…朱が呪術的に信じられた古代社会では「武器や衣服に:丹(赤土)を塗り戦えば勝てる…」との丹生都比売命の神託に従い戦勝した「播磨風土記」の伝説にある。”日本書紀”によると百済王朝第26代の聖明王の王子”恵(童男行者を名乗る)”の使者が
衝原湖登山口近く!の蝙蝠谷側にある抗口は辰砂鉱山跡なのか?(未確認)
仏像(釈迦如来像)・経典・仏具を、第29代欽明天皇(在位539-571)の13年(552)に献上した日本仏教伝来(元興寺≪飛鳥寺≫縁起に538年説有)に始まり第33代:推古天皇(在位592-628)の時代に仏教興隆の詔(命令)が出され各地で寺院建立が始まるが…明要寺建立は仏教伝来起源以前!?の最古社。
史跡丹生山城・明要寺跡平安末期の治承4年(1180)平清盛の遷都の際・福原京(兵庫区)鎮護として堂塔を整備し、比叡山の日吉山王権現を勧請して祀り・月参りしたと伝えられる差詰め”西の比叡山”で福原京を起点に丹生山神社頂上までの町石を建立したと云われる…が延暦寺の蜂起・源頼政の挙兵等政情不安により遷都未完のまま京へ環都している。
丹生神社(本殿:拝殿)左下へ藪を切開かれた南斜面に5-6段曲輪群がある!!(石龕寺にも30基ほどの町石(丁石)が遺る)。西の比叡と呼ばれる明要寺は比叡山の守護神「日吉山王権現」を勧進:神の使者は猿。長寿延命・無病息災・厄除開運・心願成就の庚申信仰:2022年の庚申の日は3/8・5/7…60日毎なので早速祈願のお詣りを…
丹生山 Ⅱは丹生山明要寺を兵糧輸送補給基地とした三木合戦
丹生山城 Ⅲ(丹生山城)では丹生神社~シビレ山への北尾根に展開する山城遺構…
丹生神社社務所下段に祀られるのは青面金剛像か?
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