見田の咳止神 Ⅰ(背割堤) 丹波市
旧佐治川(加古川上流の丹波市域)は古来より毎年の様に荒れ・氾濫の都度流域の田畑は水害被害を被り農民の生活は困窮のどん底にあったといわれます。青垣町境界の沼城南麓:氷上町沼は芦田川が佐治川(加古川)に流れ出る地点で、溢れ出る水に沼地や沼田が拡がっていたものか?。
鴨野城(谷屋砦)から望む稲畑地区(見田)と穂壷城:葛野川・中央に佐治川・奥に犬岡城
其の佐治川東南には香良谷川の入口付近一帯も沼地を挟む香良合戦の古戦場。霧山城西麓の市辺(自動車道氷上IC近く)には十六丁堤がある。此れも佐治川の氾濫に”三木城主別所長治の菩提寺住職意春上人が由良庄領主別所吉治(別所長治の子)strong>の帰依を得て十六丁畷(堤防)を築いたもの。
観音寺砦から穂壷城北東端(柏原川・高谷川の合流点)・中央に犬岡城・佐治川
佐治川まで少し距離もあるが、此の佐治川右岸側に犬岡(いぬか)城があるが、後期柏原藩(元禄8年転封の織田信休が藩邸適地と定めたが河川氾濫に湖化した様子に諦めたという。さて西脇市方面から加古川沿いR175号の西方に白山(山麓は赤井氏発祥地)・弘浪山(高山寺城跡)を、犬岡山/甲賀山の低山を認める左手から
穂壷城北端ーR175沿いに中河原川合流点まで約1K続く背割堤:中央佐治川・左端は弘浪山
中河原川(白山・弘浪山との山間)・正面に加古川・左岸奥に霧山を見て穂壷城山麓を回り込むR175号は”小橋”を渡る。佐治川(加古川上流・丹波地域)の氾濫2-3例を挙げたが、更に深刻な氾濫箇所の治水対策に護岸・掘削改修工事が近年まで(昭和・平成…)繰り返されている見田井堰が此処。穂壷城を東裾から北・西へ回り込み
中央に見田井堰の改堰碑と…咳止神:R175号正面に穂壷城
南へは北山・新井付近まで向かう溝谷と、金山城・鐘ヶ坂からの柏原川よ、向山連山・日本一低い谷中分水界を流れ出る高谷川が小橋の側で合流する…が北方から本流の佐治川と南郷城山麓を経て成松を抜ける葛野川…が合流してくる河川の十字路は増水で沼・池と化す。「見田の咳止神Ⅱ(見田井堰と其の伝説)」に続きます。
穂壷城北麓にR175・見田井堰と奥に流量観測塔?・柏原川・背割堤の左に加古川最奥は霧山城
鴨野城(谷屋砦)から望む稲畑地区(見田)と穂壷城:葛野川・中央に佐治川・奥に犬岡城
其の佐治川東南には香良谷川の入口付近一帯も沼地を挟む香良合戦の古戦場。霧山城西麓の市辺(自動車道氷上IC近く)には十六丁堤がある。此れも佐治川の氾濫に”三木城主別所長治の菩提寺住職意春上人が由良庄領主別所吉治(別所長治の子)strong>の帰依を得て十六丁畷(堤防)を築いたもの。
観音寺砦から穂壷城北東端(柏原川・高谷川の合流点)・中央に犬岡城・佐治川
佐治川まで少し距離もあるが、此の佐治川右岸側に犬岡(いぬか)城があるが、後期柏原藩(元禄8年転封の織田信休が藩邸適地と定めたが河川氾濫に湖化した様子に諦めたという。さて西脇市方面から加古川沿いR175号の西方に白山(山麓は赤井氏発祥地)・弘浪山(高山寺城跡)を、犬岡山/甲賀山の低山を認める左手から
穂壷城北端ーR175沿いに中河原川合流点まで約1K続く背割堤:中央佐治川・左端は弘浪山
中河原川(白山・弘浪山との山間)・正面に加古川・左岸奥に霧山を見て穂壷城山麓を回り込むR175号は”小橋”を渡る。佐治川(加古川上流・丹波地域)の氾濫2-3例を挙げたが、更に深刻な氾濫箇所の治水対策に護岸・掘削改修工事が近年まで(昭和・平成…)繰り返されている見田井堰が此処。穂壷城を東裾から北・西へ回り込み
中央に見田井堰の改堰碑と…咳止神:R175号正面に穂壷城
南へは北山・新井付近まで向かう溝谷と、金山城・鐘ヶ坂からの柏原川よ、向山連山・日本一低い谷中分水界を流れ出る高谷川が小橋の側で合流する…が北方から本流の佐治川と南郷城山麓を経て成松を抜ける葛野川…が合流してくる河川の十字路は増水で沼・池と化す。「見田の咳止神Ⅱ(見田井堰と其の伝説)」に続きます。
穂壷城北麓にR175・見田井堰と奥に流量観測塔?・柏原川・背割堤の左に加古川最奥は霧山城
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