見田の咳止神 Ⅱ(見田井堰) 丹波市
見田の咳止神 Ⅰ(背割堤)に続く見田の咳止神 Ⅱ(見田井堰)です。日本一低い谷中分水界を流れ出る高谷川・柏原川を集める佐治川が氷上回廊を現:加古川へ緩やかに流れ下る。此れらの河川扼する(合流する要所)堰堤となるR175がなければ!!…
見田井堰の改堰碑と…咳止神:R175号と背後は白山(後谷山城)
平成末期(令和になってからも…?)には中河原川合流地点側近くまで延長された背割堤(約1Km)に逆流は抑えられた様!?。加古川舟運は慶長11年(1606)には佐治川に入り本郷まで通舟が可能となり本郷舟座が置かれている。柏原藩初代藩主(慶長3年 1598-)織田上野介信包の時:稲畑地区の見田(名称:見田井堰は工事名等で現用中)に
穂壷城の北東端:田路・北山・新井方面排水路はR175隧道で佐治川に抜ける!!
堰を設け下流の畑地を切開き水田とする潅漑用水事業だったか…!に近在の百姓等を集め堰造りに着手したが、出来上がった井堰も田植時までの洪水に都度に流され一日でも早く完全な工事をやれ…との厳命を工事奉行から伝えられた頭領は近国の堰を見て研究したが成算思案も立たず「人柱を立てれば成就する…」と聞かされた
柏原川(右)と高谷川排水樋門:左堤防側に排水樋管…施設
頭領は奉行に人柱を立てる事を進言し密かに自分が覚悟の人柱に立ち井堰工事は完成した。其の後:堰の側に御神木として檜を植え人柱となった頭領の霊を祀り”堰止め神”として崇めた…時は移り変わり「咳止め神」として霊験あり…と。昭和7ー10年の改修に御神木の檜で小祠を造り・改修記念碑と並び安置された。
(現地「改堰碑」参照)
高谷川右岸工場側堤防の排水樋管施設(中央奥:コモ-レ丹波の森・ショッピングモール)
江戸初期・昭和期の工事箇所・規模を知らないが平成16年(台風23号)はUターン間無しで覚えているが佐治川からの逆流で、コモ-レ丹波の森(COOP神戸・ショッピングモール)一階の水没…平成末期(令和になって…?)に中河原川合流地点近くまで約1Km延長された背割堤に逆流は押さえられているようだが?、
R175号脇の流量観測塔?は昭和初期の見田井堰遺構?・ 正面は弘浪山(高山寺城)
柏原川・高谷川合流水が見田井堰によっても遮られる為:穂壷城北東角の裾から田路・北山・新井方面へと…安永終期(1775?)頃ー寛政初期(1789)に掛け排水溝が設けられたが、其の後:昭和ー平成期に入っても見田井堰・母坪・田路の排水溝・高谷川樋門や柏原川から佐治川合流部にかけ補修・改修が続けられてきた。
見田井堰の背割堤最西端付近:樋門ゲート?・中央に柏原川と加古川間の背割堤
見田井堰の改堰碑と…咳止神:R175号と背後は白山(後谷山城)
平成末期(令和になってからも…?)には中河原川合流地点側近くまで延長された背割堤(約1Km)に逆流は抑えられた様!?。加古川舟運は慶長11年(1606)には佐治川に入り本郷まで通舟が可能となり本郷舟座が置かれている。柏原藩初代藩主(慶長3年 1598-)織田上野介信包の時:稲畑地区の見田(名称:見田井堰は工事名等で現用中)に
穂壷城の北東端:田路・北山・新井方面排水路はR175隧道で佐治川に抜ける!!
堰を設け下流の畑地を切開き水田とする潅漑用水事業だったか…!に近在の百姓等を集め堰造りに着手したが、出来上がった井堰も田植時までの洪水に都度に流され一日でも早く完全な工事をやれ…との厳命を工事奉行から伝えられた頭領は近国の堰を見て研究したが成算思案も立たず「人柱を立てれば成就する…」と聞かされた
柏原川(右)と高谷川排水樋門:左堤防側に排水樋管…施設
頭領は奉行に人柱を立てる事を進言し密かに自分が覚悟の人柱に立ち井堰工事は完成した。其の後:堰の側に御神木として檜を植え人柱となった頭領の霊を祀り”堰止め神”として崇めた…時は移り変わり「咳止め神」として霊験あり…と。昭和7ー10年の改修に御神木の檜で小祠を造り・改修記念碑と並び安置された。
(現地「改堰碑」参照)
高谷川右岸工場側堤防の排水樋管施設(中央奥:コモ-レ丹波の森・ショッピングモール)
江戸初期・昭和期の工事箇所・規模を知らないが平成16年(台風23号)はUターン間無しで覚えているが佐治川からの逆流で、コモ-レ丹波の森(COOP神戸・ショッピングモール)一階の水没…平成末期(令和になって…?)に中河原川合流地点近くまで約1Km延長された背割堤に逆流は押さえられているようだが?、
R175号脇の流量観測塔?は昭和初期の見田井堰遺構?・ 正面は弘浪山(高山寺城)
柏原川・高谷川合流水が見田井堰によっても遮られる為:穂壷城北東角の裾から田路・北山・新井方面へと…安永終期(1775?)頃ー寛政初期(1789)に掛け排水溝が設けられたが、其の後:昭和ー平成期に入っても見田井堰・母坪・田路の排水溝・高谷川樋門や柏原川から佐治川合流部にかけ補修・改修が続けられてきた。
見田井堰の背割堤最西端付近:樋門ゲート?・中央に柏原川と加古川間の背割堤
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