稲畑区(見田)Ⅲ 高見城砦群 丹波市

元々稲畑と見田は稲畑村として1ヶ村だったが安永の頃(1772-81)稲畑と見田2ヶ村に区分されたが明治維新後稲畑地区に統合されている。見田井堰の完成後「堰止め神」として祀られていたがのが昭和7ー10年遷移され、改修の際:御神木の檜で小祠が造られ「咳止め」に霊験ありとされる「見田」の名は残るが、見田の名は現在も
  鴨野城から尾根先端の穂壷城:送電線右端が泉山城・犬岡山城・霧山城…を望む
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工事名として「見田井堰」…等!?に残っている。太平記に云う佐野城(高見城)は佐野・稲畑・鴨野・大新屋4ヶ村の間にあって古城主:仁木伊賀守(周防守・左京太夫・兵部大輔…を歴任)頼章は足利尊氏の執事として幕府を守り立て、後醍醐天皇の「建武の新政」反旗を翻した足利尊氏が敗れ九州の落ちる際:久下・中澤(長沢)・荻野・
光秀を祀る御霊神社前に数段の曲輪
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波々伯部等と丹波に留まり
観応の攪乱の光明寺合戦…室町幕府を開くと四條畷の戦い…等に転戦し、初代?丹波守護職に任ぜられ佐野を城下に佐野城(高見城)を築くが、守護職を継いだ二代:仁木伊勢守義尹(よしただ)の代に没落し伊勢国に退いたとされる。加古川沿いR175号を氷上町に入り蓬莱の郷(地元野菜市)・南小学校
 観音寺砦に向かう尾根筋:左からの片堀切状?は尾根を跨いで右下の曲輪に入る!
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分岐から「稲畑」交差点分岐を県道290号に入る右手一帯が佐野。直進するR175号も次の「錦橋東詰」交差点を右折し稲畑を柏原町に向かう県道290号に合流。目前の萱刈坂を越えれば柏原町鴨野・新井。仁木氏の後:家老山下?某が佐野から鴨野に移り住み子孫あり…と。鴨野にあった釘貫門を大手に堀之内居館・堀之内砦を経て
  北からの片堀切状?は尾根を跨いで南下(上り土塁を)曲輪に入る!
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高見城三ノ丸東出曲輪を山頂部の本丸へ大新屋の城館から禅座坂を経て東鴨野城「悠々の森」からの登山コースに合流して本の丸へ。本の丸から石戸山城岩龕寺城へ向かう西南に中ノ台の城「南曲輪」があり天正の落城時にも機能していた可能性があるが当初:佐野からの大手道だったかも?。主郭から延びる尾根続きに
  観音寺砦北端:左から回り込み尾根筋から入る2段曲輪の先に主曲輪
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城砦群を築く丹波三大山城一:黒井城より広い範囲に点在する城砦群の内:萱仮坂・県道290号で分断される南部の一部を列記したが萱刈坂から穂壷城に至る北部高見城砦群に仁木頼章の弟:義長が拠った鴨野城や泉山城…や義長が谷氏(谷垣氏?)を名乗り谷屋敷や谷垣殿と呼ばれる所在や字名は不詳だが居館・屋敷群!?が…
 観音寺砦南端:観音寺からは堀底道を…堀切正面直ぐに泉山城の堀切が…!!
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次回予告稲畑村(見田)の光秀を祀る御霊神社周辺から背後に多くの曲輪群を見て尾根筋は直ぐ妙見砦と泉山城(砦)の間:観音寺砦(仮称)北端の空堀状虎口?に着く。鴨野城北出曲輪からの枝尾根先端にも数段の曲輪があり麓が御霊神社参道入口!!。鴨野城搦め手と居館を守備する砦か? 
 挿入画像は光秀を祀る御霊神社周辺の屋敷跡?から…妙見砦・観音寺砦まで…)
          

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