萱刈坂Ⅰ 高見城砦群南北を分ける峠 丹波市
氷上町稲畑地区に丹波佐吉の義父で初代難波金兵衛の菩薩像)のある實光寺・明智光秀を祀る御霊神社・見田の咳止神 Ⅰ(背割堤)・見田の咳止神 Ⅱ(見田井堰)・稲畑区(見田)Ⅲ 高見城砦群やⅣ 泉山城-鴨野城(高見城主で丹波守護:仁木頼章の弟・和泉守義長(…が在城した氷上谷垣氏の祖)…一連のレポートをブログ紹介しているが
毘沙門砦(仮称)から望む茅刈坂・鴨野城
高見城が佐野城と呼ばれた氷上町側から・柏原側の鴨野・新井に移った後期高見城城下を分ける中間部の小峠が萱刈坂。此処にも農繁期の忙しい時期に民衆に「茅刈」の苦役を強いた伝承や、柏原藩政の頃には鴨野の土塀や狭い荒れた平地・湿地に…治水や灌漑に…と水との長く苦しい開拓秘話も残る。
条里制区画をみる鴨野から泉山砦方面(穂壷城へ県道291が延びる)高見城:穂壷城を分ける街道筋でもあり、一帯には幾つもの高見城砦群が点在する。南北朝期:高見城大手は加古川(旧佐治川)沿いに氷上町成松~佐治へ延喜式の旧山陰道が通じる氷上町佐野にあり佐野城と呼ばれていたが篠山からの山陰/但馬道の経路が追入から鐘ヶ坂を越えて柏原町へ通じると大手を柏原町鴨野に移して
大新屋の上山家代官所跡(佐野家陣屋跡)
丹波佐吉も幼少期此処で代官:上山孝之進から読み書きを習った
城下が整備され市場・馬場・xx小路の字名が残る。南方から西面にかけて高見城山の山並みが高度を一気に落としながらも萱茅刈坂を経て北へ延びていく。この低丘陵上に鴨野城・泉山城・妙見砦や北端に穂壷城が並ぶ。
萱刈坂
毘沙門砦(仮称)から望む茅刈坂・鴨野城
高見城が佐野城と呼ばれた氷上町側から・柏原側の鴨野・新井に移った後期高見城城下を分ける中間部の小峠が萱刈坂。此処にも農繁期の忙しい時期に民衆に「茅刈」の苦役を強いた伝承や、柏原藩政の頃には鴨野の土塀や狭い荒れた平地・湿地に…治水や灌漑に…と水との長く苦しい開拓秘話も残る。
条里制区画をみる鴨野から泉山砦方面(穂壷城へ県道291が延びる)高見城:穂壷城を分ける街道筋でもあり、一帯には幾つもの高見城砦群が点在する。南北朝期:高見城大手は加古川(旧佐治川)沿いに氷上町成松~佐治へ延喜式の旧山陰道が通じる氷上町佐野にあり佐野城と呼ばれていたが篠山からの山陰/但馬道の経路が追入から鐘ヶ坂を越えて柏原町へ通じると大手を柏原町鴨野に移して
大新屋の上山家代官所跡(佐野家陣屋跡)
丹波佐吉も幼少期此処で代官:上山孝之進から読み書きを習った
城下が整備され市場・馬場・xx小路の字名が残る。南方から西面にかけて高見城山の山並みが高度を一気に落としながらも萱茅刈坂を経て北へ延びていく。この低丘陵上に鴨野城・泉山城・妙見砦や北端に穂壷城が並ぶ。
萱刈坂
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