萱刈坂 Ⅱ 治水:丹波柏原の彫刻三巨匠 丹波市

低丘陵ではあっても三方を囲まれて柏原側の東にのみ開かれ大雨によって高見城山山塊の荒れた山間から加茂神社東西にある東谷川・西谷川も度々氾濫して土石流が地区内・田圃内に流入する。流れ出る東方の柏原川も大雨になると何度も(昨年H16年)も濁流で浸水被害を起しており、流れ出るどころか
   萱刈坂:加茂神社口付近から県道に沿い残る土塀(どへ)
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流勢に堰き止められてしまいます。鴨野には河川でもないところに堤防ではなく高土塀(どへ)”高さ6ー7m・底部幅3‐4m”が集落や田圃を取囲む様に土石流が流入するを禦ぐ為に築かれ谷奥にも土砂留めの堤防(3m以上)が築かれていたといわれる<未確認>。土塀も圃場整備が進んで殆どその面影も失われている様です。
    加茂神社:2代目金兵衛の狛犬
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池でも河川跡でも疎水溝でもなさそうな其れでいて結構深い谷筋や、川もないのに真直ぐ延びる土手状の堤防に嘗て村人が闘った治水工事の跡を感じとるのが精一杯。多田・母坪から見田・稲畑へ、柏原川へ水を抜くための見田井堰見田の咳止神を参照してください。
     北山稲荷:丹波佐吉の狐像(台座は2代目金兵衛)
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丹波柏原の三名工・巨匠を挙げるに異論はあるかも知れないがⅠ:孝明天皇(明治天皇の1代前:在位!?1846-66)に石造の尺八を献じ「これは日本一である」と賞賛され”日本一”の言葉が使われるようになったのが丹波佐吉(村上源照信) Ⅱ:徳川家康に仕え京都大工頭の名工・名門で「法隆寺の修理・江戸城・日光東照宮
   新井神社(高見城登山口近く)の猿像:中井一党3代目中井正貞作
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・大坂城の築城等にも関わり、4代目からは社寺彫刻師として活躍した中井一党として(権治)を襲名した彫刻師三代目中井権次正貞。Ⅲ:柏原藩後期織田家陣屋の表御殿の正門玄関脇に捨女像(田ステ女)が立っていた(現:長屋門前の小公園に移設)。此の「捨女」の彩色木彫像が柏原歴史資料館内田ステ女記念館に展示されているのが磯尾柏里(初代:健治)の作品。
   織田藩陣屋にある磯尾柏里のステ女像(現:長屋門前小公園に移転) 
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柏原八幡神社拝殿前”丹波佐吉”の狛犬は有名だが・西側の摂社:厄除神社前に鎮座するのが:始めは石彫作家としての狛犬や織田藩陣屋にある”田ステ女”の石像がある。木彫作家として彩色の”田ステ女像”は「田ステ女記念館」に所蔵されている。大正末期以後の展覧会(名称は変遷しているが日展の前身か?)に相次いで入賞、二代目:三代目柏里氏も日展に入選・特選されている作家…。  
    磯尾柏里作「関西氷上郷友会」(贈:傘寿記念)の達磨像
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 大新屋公民館:近くに代官所、直進突き当りに新井神社、新井小裏手に東鴨野城がある
          

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