栗柄峠 Ⅲ 倶利伽羅不動滝の龍伝説 篠山市
三田市方面からはR175号線でJR篠山口駅前を過ぎ県道97号線に入り、石楠花の町(旧多紀郡西紀町)篠山市役所西紀支所前を宮田川沿いの山間を三和町に向け走ると左(北)稜上に露岩を覗かせる起伏の続く鋸山が連なり、「倉本」を過ぎると一端集落が途切れ「坂本」の福徳貴寺(天台宗比叡山延暦寺末:地名の坂本にも起因)に至る。
第31代用明天皇(在位585-87)の代に聖徳太子開基を伝え、法道仙人により中興され第36代孝徳天皇大化年間(645-50)三十五坊を数えたと云う。推古-大化年間(627-49):宮田荘が摂政「藤原良房」の所領となったとき、福徳貴寺を祈願所として荘園の名をとり「宮田山」を号し隆盛を誇った。
福徳貴寺と栗柄の観音堂(御嶽山養福寺):倶利伽羅不動滝とは丹波山岳修験道場・行場として深く繫がる様。倶利伽羅不動滝への参道途中に瀧ノ宮神社𦾔跡地や、祠の手前には玉垣に囲まれたなかに納まる丸い石が蛇の枕と呼ばれる。池・沼・滝壺には:其所に棲む大蛇・龍伝承が全国的にも多く、
また成仏を願う竜女伝説のストーリーも類似する。福徳貴寺の祐盛(ゆうじょう)法印が栗柄の「瀧ノ宮神社」に詣り読経をあげていると一人の少女がどこからともなく現れ「私は此の辺りに住んでいるものですが読経の声を聞いて此処に参りました。どうかありがたいお経をお聞かせください」と頭を地につけて懇願します。
瀧ノ宮神社𦾔跡地に…”蛇の枕”…!!
はじめは不思議に思われた祐盛法印は:少女はきっと何かの化け物に違いないと気付かれ言うとおり「それでは・いちばんありがたいお経をあげましょう」。するとまもなく少女の姿が消え、一面真っ暗闇になった。暫くして滝のほうを見つめると一匹の竜が現れ「わたしは此の滝に棲む竜女です。
栗柄集落を眼下にする断崖絶壁上の幅狭尾根先から福徳貴寺背後の五在所山
更に岩尾根先端部は栗柄峠Ⅰの最下段画像今のお経の力で天に昇ることが出来ます」と三枚の鱗を残して天に昇っていった。成仏できた竜女が法印に謝し残したという鱗が今も福徳貴寺の寺宝となっている。三田市の永沢寺にも”通幻禅師と竜女・龍の鱗”伝説があるが、通幻禅師を開祖とする永澤寺の末寺「猪名川町の景福寺」には8枚の龍の鱗があったと伝えられる。
参考:兵庫県学校厚生会発行「郷土の民話 丹有編」
第31代用明天皇(在位585-87)の代に聖徳太子開基を伝え、法道仙人により中興され第36代孝徳天皇大化年間(645-50)三十五坊を数えたと云う。推古-大化年間(627-49):宮田荘が摂政「藤原良房」の所領となったとき、福徳貴寺を祈願所として荘園の名をとり「宮田山」を号し隆盛を誇った。
福徳貴寺と栗柄の観音堂(御嶽山養福寺):倶利伽羅不動滝とは丹波山岳修験道場・行場として深く繫がる様。倶利伽羅不動滝への参道途中に瀧ノ宮神社𦾔跡地や、祠の手前には玉垣に囲まれたなかに納まる丸い石が蛇の枕と呼ばれる。池・沼・滝壺には:其所に棲む大蛇・龍伝承が全国的にも多く、
また成仏を願う竜女伝説のストーリーも類似する。福徳貴寺の祐盛(ゆうじょう)法印が栗柄の「瀧ノ宮神社」に詣り読経をあげていると一人の少女がどこからともなく現れ「私は此の辺りに住んでいるものですが読経の声を聞いて此処に参りました。どうかありがたいお経をお聞かせください」と頭を地につけて懇願します。
瀧ノ宮神社𦾔跡地に…”蛇の枕”…!!
はじめは不思議に思われた祐盛法印は:少女はきっと何かの化け物に違いないと気付かれ言うとおり「それでは・いちばんありがたいお経をあげましょう」。するとまもなく少女の姿が消え、一面真っ暗闇になった。暫くして滝のほうを見つめると一匹の竜が現れ「わたしは此の滝に棲む竜女です。
栗柄集落を眼下にする断崖絶壁上の幅狭尾根先から福徳貴寺背後の五在所山
更に岩尾根先端部は栗柄峠Ⅰの最下段画像今のお経の力で天に昇ることが出来ます」と三枚の鱗を残して天に昇っていった。成仏できた竜女が法印に謝し残したという鱗が今も福徳貴寺の寺宝となっている。三田市の永沢寺にも”通幻禅師と竜女・龍の鱗”伝説があるが、通幻禅師を開祖とする永澤寺の末寺「猪名川町の景福寺」には8枚の龍の鱗があったと伝えられる。
参考:兵庫県学校厚生会発行「郷土の民話 丹有編」
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