栗柄峠 Ⅳ 「栗柄砦」 篠山市

篠山市内から丹波市に抜ける幹線R176号は篠山川に流れ出る宮田川沿いに、旧多紀郡西紀町域(宮田荘)を県道97号(篠山三和線)を北上する。此の宮田荘最奥部:栗柄集落内に栗柄峠があり、全国的にも珍しい谷中分水界と河川争奪をみる峠でもある。栗柄峠からは今来たルートの南へは多紀郡・八上城主:波多野氏領。
        栗柄峠分岐点と栗柄砦
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(篠山市内から摂津三田・有馬・阪神間方面)・北は氷上郡・黒井城主荻野直正領(丹波市春日町から福知山市・但馬方面)・東に続く県道97号は鼓峠を越え篠山市本郷・草山温泉・京丹波:三和町から園部・亀岡から京都へ通じる 交通の要衝に位置する。…しかし要衝の監視等城砦には栗柄砦の遺構が知られるだけ!!。
    古い道標が残る「分水界尾根」登山道が直接城域を抜ける…
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天正4年(1576)第一回丹波攻め(黒井城攻略)に、明智光秀傘下にいた八上城の波多野氏等丹波勢が示し合わせた?叛乱「赤井の呼び込み戦法」に、不意を突かれて命辛々京へ逃げ帰った栗柄峠からの丹波市側は狭く急カーブが連続する林道然だった県道も拡幅大改修され見違える程だが、栗柄峠から御在所山~鋸山~佐中峠・
       栗柄砦曲輪東面切岸
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三尾山城へ続く市境の「分水界尾根」登山道は丹波市側につけ替えられている様!?。倶利伽羅の滝を見下ろす三尾山(三尾城)からの尾根東先端部の峰に僅か30m四方を削平した単郭の城砦が栗柄砦。切岸は低いが城域のほぼ方形曲輪が切岸加工されているがフラットな城域を通り抜けるだけなので山城に興味がなければ
         栗柄砦北東面の低土塁・切岸
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アッ…というまに通り過ぎる平坦地形を、城址(砦)と気付く人は少ないと思う。砦は黒井城主荻野直正か、直正の実弟で三尾山城の城主:赤井刑部幸家(知将で知られ直正病死後は黒井城代として指揮した)の出城との伝承もある。幸家は丹波・篠山両地に所縁があり、居館の春日町国領の国領城(流泉寺)と、
      南正面虎口部の造出し(虎口は左手(西)から造出部を回り込む右側)
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篠山市上板井の三尾山弘誓寺(幸家が再建した菩提寺)に”孤舶釣月”戒名の墓碑が建つ。また栗柄峠を丹波市に越えた春日町側には大路城があり、二階堂秀香(波多野秀治の義弟)が拠ったという…?。しかし南面に2-30cmほどの極低土塁線が虎口まで東西に延び、平入りだが東西左右の曲輪間を回り込むように
      平入り虎口!(左に上画面の造出し:右は曲輪東端を回り込む<下の画面参>)
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(横矢が掛る折れ?)斜上する「平入り虎口」で”坂虎口”に別分類できるのかも?。低土塁の他には域周囲に空堀・竪堀等の防御設備を一切見ない。虎口等織豊系縄張は第二次黒井城侵攻事前・明智勢により築かれたものと推察される。八上城・黒井城を繋ぐ要所の分断を図るため金山城が築かれ栗柄砦も同目的と思えるが、
       東・西の両曲輪下を回り込んで入る平入虎口(坂虎口!?)
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当初は三ツ尾山城への付城、三ツ尾城落城後は黒井城側(主に国領)への通行を遮断。宮田荘内の垣屋城や板井城も既に落ち:一般通行には高坂から鋸山稜を越え、栢野で栗柄峠からの道に合流したものか?。三尾城は天正6年(1578)12月・明智光秀の部将:妻木主計助範賢の黒頭峰・佐中峠方面からの攻撃で落城している。

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