石龕寺道「ヒガンバナと丹波栗」 丹波市山南町

大河ドラマ「太平記」テレビ放映を期に昭和63年:村おこし事業の一環として毎年11月第3日曜日に実施されてきた石龕寺もみじまつりは地元に歴史を伝え:観光イベントとしても定着した伝統行事だったが第30回目だったか?を期に廃止された。
   石龕寺背後の稜上に岩屋城・石龕寺城・頭光嶽城・寺坂峠城・石戸山城がある…
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正平6年(観応2年 1351)京を追われた足利尊氏親子は栗作郷の久下氏を頼って丹波国岩屋の石龕寺へ落ちてきた。足利尊氏・直義兄弟による内乱【観応の擾乱】ですね。尊氏は嫡子義詮を2000余騎の兵と共に石龕寺に留めて播磨・九州方面に発つ。
  主産地こそ代わってしまったが「てらうち・ててうち」…等大粒の丹波栗発祥地が此処:岩屋谷!
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留まった義詮に寺僧が差し出した栗に「都をば出て落ち栗の芽もあらば 世にかち栗とならぬものかは」と詠み爪痕をつけ土に埋めた「爪あと栗(ててうち栗)」の伝承がのこる。今も残る大粒の丹波栗「ててうち栗」や「てらうち」の栗の木の下を
  西国から凱旋の足利尊氏を義詮等が岩屋集落奥の此処で出迎えたか?「かって坂
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進む武者行列や、石塔・石仏が彫られた石龕寺町石が石龕寺へと続く坂道に嘗て隆盛した石龕寺の繁栄の址は偲ぶ因(よすが)でもある。嘗て「石龕寺もみじまつり」の武者行列が通ったルートを石龕寺領(岩屋谷)沿いに久し振りに歩いてみた。
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先ず岩屋谷川に掛る銀橋(しろがねばし)を渡り岩屋地区に入り、地区公民館近く:銅橋(あかがねばし)を渡る。谷の最奥に石龕寺・その背後の山に岩屋山(岩屋山城)があり、山頂間近までロウ石鉱山跡の断崖が遠目にも目立つ。東への尾根続き
     銀橋付近から井原城(正面)と播磨国境の至山(城址)
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石戸山(兵庫50山)付近に鉄平石の採石場跡も…♪赤い花なら曼珠沙華 オランダ屋敷に 雨が降る…~♪…つい古い唄を思い出す。ヒガンバナは曼珠沙華・天蓋花の他にも別名や異名と花の名も多いが赤だけではなく黄や最近は?ピンク…も。
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道道の田圃の畦地に彼岸花を見る。彼岸の時期に咲くのでヒガンバナ、また花・茎・葉・球根の全部分に毒があることから、稲・野菜等の農作物をモグラやネズミ・害獣を寄せ付けず守るためらしく田畑の畦沿いに植えられていたようで、
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此れ等のことからもヒガンバナの花言葉は「あきらめ・再会・悲しい思い出・独立・情熱・地獄花…等々種々雑多…!!。ところで長い茎の下に葉っパはあったのかナ?。見忘れた!!(>_<)…が、桜花の様に花期が終えた後:地中から出てくるのかな!?。今:赤い花は花期?も終え花は色褪せ:落ち、茎だけを残すもの…見る影もないほどなので…
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