香良合戦:序 丹波市

織田信長の天下布武「丹波国攻略」の将:明智光秀による奥丹波の「氷上郡(丹波市)黒井城:荻野直正を攻めた第一回目合戦には、敗色濃い黒井城方に対し・黒井城攻めの総大将:明智光秀に一味していた多紀郡(篠山市)八上城の波多野秀治との”赤井の呼び込み軍法”で赤井方の軍と挟み撃ちにした策謀は、突然の裏切りにより
 香良合戦主戦場近くからの西岩山(香良城)と奥に五台山・中央住宅地沿いに香良谷川
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明知軍は大混乱…丹波では唯一光秀を敗走させ黒井城方が圧勝した合戦で、甲斐武田家の軍学書“甲陽軍監”に徳川家康・松永久秀・長宗我部元親ら有名武将とともに名を連ねている。…がその前に‼ 赤井時家二男・才丸が同族:荻野氏に乞われ本拠朝日城の盟主となったが叔父の黒井城主:荻野秋清を刺殺し
 赤井氏(反直正方)足立・芦田連合の陣城香良西砦:主郭南斜面の切岸・北方に堀切二本
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天文23年(1554)黒井城主となった…ことは周知されているが、翌天文24年に勃発した香良合戦を御存知の方は極端に少なくなるよう…。殊に調査対象外?なのか”香良合戦の合戦場一帯”に知られることもなかった隠れた城砦・陣城群を探索調査された労作資料がある。
      赤井氏(直正)側最前線基地?の北由良城:主郭の土塁と堀切
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「中世城郭研究」第35号(発行:中世城郭研究会 2021年10月)の[研究ノート]に高橋成計氏の”城郭から考える丹波香良合戦”寄稿を丹波市教育委員会・丹波の森協会…等関係各所に贈られており、何かのイベント等で講演されるかも…と期待して、隠ヶ谷に発見の鴨内(かもち)城の築城位置からは何故か土塁が
      足立氏遠祖・先祖を祀る権太兵衛基則の墓碑:妙法寺(青垣町佐治)
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山側(背後の鴨内峠(市島側の鴨坂峠)を警戒したものか?)にある疑問…等、また当時は加古川流域が氾濫を繰返し沼-湿地帯だった。円通寺(氷上町御油)から氷上町沼(名のとおり古くは沼地!:)で北側の丘陵上には芦田氏の沼城があり芦田家菩提寺の明勝寺もある。
     沼城主芦田光信開基:芦田氏菩提寺の明勝寺
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明勝寺から円通寺に掛けての尾根上には白童城(城郭類似遺構)・井中城(仮称:10数条の畝状竪堀だけが目立つ!!?)や円通寺城(仮称)があり、何れも加古川を隔て香良谷口の付近一帯(陣道ヶ原)の香良合戦主戦場を覗える位置にある。    
   香良合戦2:通説  香良合戦3:陣城砦群  香良合戦4:合戦と余波

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