石龕寺道「町石と部屋の窓」 丹波市山南町
精気ある家の窓には光が射し込み・風通しを考えての住宅環境と、周りの物質面・精神的な面からも安全・健康で快適な生活環境に欠かせない…
22町石:岩屋集落入口手前・銀橋(しろがねばし)近く朝霧の薄明かりに山の稜線が浮かび上がってくる。流れ出す霧の隙間から明るい光が漏れだすと、家の屋根・其の下の窓枠にと陽が射し輝きだすと今日一日の生活の活気ある始動を感じる。
前回UPしていない「…蔵の窓」も擬人化してみると:目の上のスズメバチの大きな巣が気になるのか?、其れとも向いの家の出窓”嵌(は)め殺し窓?”に飾り置かれた大きな縫いぐるみ人形が気になるのかジッと見ているような…!?
茅葺き屋根の民家は殆ど目にすることもないほどだが、代わって瀟洒な洋館建て住宅も増えてきた。窓が多く・窓の形も様々なものが多いのも特徴か…?
道端の草むらに埋もれるように・民家の石垣の囲まれた空間にと、路傍の石ではなく鎮られ立つ町石(県指定史跡)をみる。町石は石龕寺道に25基・寺坂道(金谷から奥の院まで)に5基が残っており多くは一石五輪塔の様。
14町石(梵字が彫られているだけだが…野の花が飾られ祀られている)
用明天皇の2年(587)大和朝廷の物部守屋に対立した蘇我馬子・聖徳太子らが勝利した際:太子兜の昆沙門像が何処かに飛び去り、探索していて頭光嶽の直ぐ下方の窟に「毘沙門像」を見つけることが出来たことから、
自彫の守護神:毘沙門天を本尊としての開基を伝えるのが古刹:岩屋山石龕寺。高さ1m前後の一石五輪の卒塔婆形が多く、正面に仏像や梵字が彫られており8町石には室町時代初期の応永6年(1399)の建立と銘記されている。
8町石(造立銘がある県指定史跡)室町期の石龕寺町石は県指定史跡(昭和40.3.16)。町石として古いものでは大阪・箕面勝尾寺の豊能自然歩道にあるものが最古!で宝治元年(1247)に、高野山の町石は文永3年(1266)に建てられたもの。
岩屋道最奥の7町石(ガードレールは石龕寺バイパス:20m程先で合流し山門に向かう
”錫杖?を手にした仏様?・武器なら”大威徳明王(五大明王の一)”だろうか!?。五輪の欠損や最下檀の地輪が地中に埋れたもの…や浮彫の野仏も見掛ける…紅葉の名所:石龕寺に向かう石龕寺バイパス道には赤地の幟旗が並ぶ…
石龕寺道「ヒガンバナと丹波栗」
石龕寺道「コスモスと蔵の窓」
石龕寺道「町石と部屋の窓」 …画材・被写体は何処にでもあるものですネ
22町石:岩屋集落入口手前・銀橋(しろがねばし)近く朝霧の薄明かりに山の稜線が浮かび上がってくる。流れ出す霧の隙間から明るい光が漏れだすと、家の屋根・其の下の窓枠にと陽が射し輝きだすと今日一日の生活の活気ある始動を感じる。
前回UPしていない「…蔵の窓」も擬人化してみると:目の上のスズメバチの大きな巣が気になるのか?、其れとも向いの家の出窓”嵌(は)め殺し窓?”に飾り置かれた大きな縫いぐるみ人形が気になるのかジッと見ているような…!?
茅葺き屋根の民家は殆ど目にすることもないほどだが、代わって瀟洒な洋館建て住宅も増えてきた。窓が多く・窓の形も様々なものが多いのも特徴か…?
道端の草むらに埋もれるように・民家の石垣の囲まれた空間にと、路傍の石ではなく鎮られ立つ町石(県指定史跡)をみる。町石は石龕寺道に25基・寺坂道(金谷から奥の院まで)に5基が残っており多くは一石五輪塔の様。
14町石(梵字が彫られているだけだが…野の花が飾られ祀られている)
用明天皇の2年(587)大和朝廷の物部守屋に対立した蘇我馬子・聖徳太子らが勝利した際:太子兜の昆沙門像が何処かに飛び去り、探索していて頭光嶽の直ぐ下方の窟に「毘沙門像」を見つけることが出来たことから、
自彫の守護神:毘沙門天を本尊としての開基を伝えるのが古刹:岩屋山石龕寺。高さ1m前後の一石五輪の卒塔婆形が多く、正面に仏像や梵字が彫られており8町石には室町時代初期の応永6年(1399)の建立と銘記されている。
8町石(造立銘がある県指定史跡)室町期の石龕寺町石は県指定史跡(昭和40.3.16)。町石として古いものでは大阪・箕面勝尾寺の豊能自然歩道にあるものが最古!で宝治元年(1247)に、高野山の町石は文永3年(1266)に建てられたもの。
岩屋道最奥の7町石(ガードレールは石龕寺バイパス:20m程先で合流し山門に向かう
”錫杖?を手にした仏様?・武器なら”大威徳明王(五大明王の一)”だろうか!?。五輪の欠損や最下檀の地輪が地中に埋れたもの…や浮彫の野仏も見掛ける…紅葉の名所:石龕寺に向かう石龕寺バイパス道には赤地の幟旗が並ぶ…
石龕寺道「ヒガンバナと丹波栗」
石龕寺道「コスモスと蔵の窓」
石龕寺道「町石と部屋の窓」 …画材・被写体は何処にでもあるものですネ
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