野上野城 Ⅰ 丹波市

神池寺から入山した背後の妙高山頂手前の鞍部から東の尾根先続きにも城砦遺構があり、妙高山頂の妙高山砦(仮称:城郭類似遺構)と妙高山東城(仮称)は織田信長の天下布武「丹波国攻略」に最後まで残った荻野直正の黒井城攻めに第一次合戦の
       野上野城南端曲輪から西に黒井城(上方中央)
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天正4年(1576)には敗退した明智光秀による第二次合戦となった天正6年(1578)12月北方の福知山からは小野木重勝・東方の上竹田・市島方面からは明智光春・同じく東方の京都三和町側千束街道からは藤田伝吾が日内城・岩倉城を落としながら神池寺道を南進…。神池寺道は肩切り地蔵の伝承からも市島町鴨庄の現:県道541号
       野上野城南端曲輪から東に妙高山・多紀三山
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北奥からが主参道らしい?が、妙高山頂・妙高山東城との鞍部には野上野・三井庄への分岐道標石仏が遺り、神池寺から妙高山に至り(山腹の捲道あり)西尾根伝いに野上野・多利へ古い参詣道の一つが通じている。此の尾根筋には野上野城(再訪)と尾根筋西隣(最西端)の「桂谷寺裏城館」に行き着く。
        桂谷寺背後の丘陵上:左端に古墳・曲輪と右上に主曲輪?の桂谷寺裏城館
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城館!?の名称だが削平は粗く単郭小曲輪地形が三ヶ所程に分散・且つ再西端曲輪は古墳噴頂部を均しただけ?の曲輪だが、西山麓部を近畿自動車が走り、平野部を走るJR福知山線・R176号・竹田川を挟んで西の丘陵部約2.5kmに位置する黒井城本丸を至近距離に望む。妙高山頂から野上野・多利へと伸びる尾根筋は、
       南端曲輪から北:妙高山に繫がる尾根454m(参詣道は南尾根を野上野へ下る)
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天台宗道場として隆盛していた平安時代からの参詣道の一つで、454m峰に至り西南尾根を下って野上野の里に降立つ。此の野上野集落最奥部から多利へ越える山道があり旧道は鞍部を越え北斜面を直下降していたと思えるが、多田から黒井城に攻撃する多利側の軍に合流する出撃ルートか?。
     主曲輪と段下南の曲輪間土塁(石塁?)は削残しの岩盤
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峠越え一般道は野上野集会場側から野上野城260m・野上野西砦(仮称 222m)間の鞍部を多利側に降りる。野上野側からは七日市や野村から明智軍の黒井城南正面付城群に通じる。此の286m峰の山越え鞍部を監視するかのように曲輪段が続く野上野東砦(仮称)桂谷寺裏城館の北尾根続きに野上野西砦(仮称)222m(4等)がある。

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