妙高山東城(仮称) Ⅰ神池寺 丹波市

JR福知山線・竹田川沿いR175号線の三ツ塚史跡公園手前「市島支所前」交差点を右折し戸平峠を越え福知山市三和町に向かう県道59号線に入る。例年丹波市市島町鴨庄(北奥地区)では平成10年より始められ毎年8月初旬~下旬にかけて地元実行委員会により”案山子まつり”が開催され、
   神池寺山門
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其のイベント時期には手作りアーチの入口ゲート潜る県道541号を詰め終点となるのが妙高山神池寺。丹波比叡とも呼ばれ、第44代:元正天皇(女帝:在位715-724)の養老2年(718)法道仙人が巡錫し持仏の(千手)観音像を納め道場としたのが始まりで、山上に小さな池があったことから神池寺と名付けられたという天台宗の古刹。     
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第45代:聖武天皇(在位724-749)代には賊により寺は焼亡するが天皇が勅願所として再興させ、行基菩薩・天台座主:慈覚大師円仁等高僧が訪れ教えを説き、第56代:清和天皇の貞観元年(859)には諸堂の再建も成り天台宗道場として隆盛も高まり、平安時代後期:保元3年(1158)には平重盛(平清盛の嫡男)が平家一門の安寧と
        春日神社跡
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国家鎮護を願い法華経八軸を書写して埋め五輪塔を建て、奈良春日神社を勧進して鎮守としている。現:本堂裏手には明治政府による神仏分離令により廃されたが、広大な春日明神跡が遺り其処此処に石垣・石積み跡が残る。神社であった遺産?が行者堂前に座る不思議な狛犬の石像か!?。 
    本堂脇:行者堂狛犬と背後に春日神社跡石垣・石積の曲輪群
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第96代後醍醐天皇の皇子で鎌倉幕府を倒した征夷大将軍大塔宮護良親王が元弘3年(1333)宗徒(堂衆)に論旨か?令旨(親王の命を伝える文書)錦旗を授け、挙兵した神池寺宗徒80余騎で六波羅探題を攻める。この時は政敵!足利尊氏も後醍醐天皇方に付き篠村で挙兵した。神池寺宗徒八十余騎も五條西洞院まで攻入ったが…300余騎の六波羅軍に包囲されて全滅した。
        春日神社跡
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神池寺堂宇も殆どは兵火に焼亡・天正6年(1578)明智光秀による第2回黒井城攻略の際にも兵火の災禍に堂宇を消失する。
妙高山東城 Ⅰ”神池寺”では妙高山から尾根続き東の峰にあった”妙高山東城(仮称)”の築城目的・時期・城主等城史等資料もなく一切不明のため、先ず参考までに神池寺の歴史・由緒等を大まかに纏めてみた。
       神池寺境内の石造宝筐印塔(県指定)
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妙高山東城Ⅱ ”肩切り地蔵”では隆盛を極めた神池寺と妙高山山頂(奥の院?)へも野上野や多利・南山麓の三井庄から数本の参詣道が通じ、神池寺門前には茶屋もあったことを紹介。大蛇伝説の「澄まずの池」は”丹波のむかしばなし”が本・Youtubeでも紹介されているので割愛し、妙高山東城 Ⅲで本題の妙高山東城とする。
    

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