妙高山東城(仮称) Ⅱ 肩切り地蔵(伝承) 丹波市
妙高山東城 Ⅰ神池寺からの続きです…。神池寺の寺名ともなっている大蛇伝説の”澄まずの池”篠山市・丹波市の「丹波のむかしばなし」に紹介もあり割愛するが池の側近くには林間学校の合宿所等としても利用されていた神池寺会館がある。肩切り地蔵は神池寺駐車場近くに祀られている。
神池寺本堂北方の福知山からは市ノ貝・白毫寺道を小野木茂勝がR175号塩津峠を越え?、上竹田・勅使からは明智光春・京:千束街道からは藤田伝吾が日内城・岩倉城を落とし鴨庄から神池寺道を南進し妙高山から稜線伝いの神池寺参詣道を多利・野上野に至り、黒井城に迫ったものか…?。
神池寺山門此の妙高山東城(仮称)や妙高山北方の天ヶ岳城(仮称)が奥丹波勢の砦として明智勢に抵抗を示したか?、第一次合戦時の光秀の陣城小富士城を茶臼山城に移した頃には、黒井城を望める此れ等の砦(いずれも堀切をもつ)が付城として転用されたものか?…築城時期・目的・城主等城史は一切不明。
神池寺境内「すまずの池」
衆徒の寄進により天正15年(1587)堂宇再建成り昔日をしのぶ賑わいとなったが元禄(1688~)の頃より寺運衰退し其の後も急速に廃頽していった。一帯は多紀連山県立自然公園の一角で「ひょうご森林浴場50選」にも指定され、秋の紅葉も有名だが、近年クリンソウの群生地も発見された。
神池寺境内「すまずの池」
神池寺の寺宝には慈覚大師が彫った不動明王像(木造)・平重盛が国家鎮護を願い法華経八軸を書写し埋めた五輪塔等…数多く伝わるが、なかでも此処に挙兵した護良親王の鎧は明治初年に京都梶井宮(大原三千院門跡)に請われ・鎌倉神社(護良親王を主祭神とする鎌倉市の鎌倉宮<大塔宮とも>)に移されご神体になっている。
神池寺境内の肩切り地蔵尊肩切り地蔵の伝承地は平安時代:貞観2年(860)門前町として栄え・茶屋が軒を並べていた神池寺門前町湯谷(市島町鴨庄北奥でR541号に入り神池分岐を右に入ると塚原、集落内を流れる谷が湯谷ノ谷。上流の神池寺を含め市島町多利)の茶屋の娘と三井庄の男が淡い恋心?逢瀬を楽しみにしていたが…
妙高山頂(妙高山権現神社の礎檀・灯籠が残る)狐か狸に誑(たぶら)かされた…か?。ストーリーは“由緒を尋ねて(丹波新聞社)・現地案内説明板あり…。上記のとおり古来より神池寺へ通じる参詣道は北方に鴨庄から塚原・市島町多利・南からは三井庄や鹿野から、西方は春日町多利・野上野や柚津からも尾根伝いに妙高山頂(奥の院!)から神池寺へと通じている。
妙高山東城(仮称):城域西の切岸下部には短いが20本近い畝状が並ぶ肩切り地蔵尊は三井庄大路からの神池寺道にあったが平成年間:此処に遷されたとある。妙高山東城(仮称)は妙高山頂から神池寺・三井庄へ下る分岐鞍部から東へ延びる丘陵続きに位置する中世城郭。黒井城砦群の一つか?・明智勢傘下に入った某部将が拠った付城の一か?。妙高山頂の削平地形?は黒井城監視の出曲輪か?(城郭類似遺構)として次回に纏めてみたい (^^ゞ

神池寺本堂北方の福知山からは市ノ貝・白毫寺道を小野木茂勝がR175号塩津峠を越え?、上竹田・勅使からは明智光春・京:千束街道からは藤田伝吾が日内城・岩倉城を落とし鴨庄から神池寺道を南進し妙高山から稜線伝いの神池寺参詣道を多利・野上野に至り、黒井城に迫ったものか…?。
神池寺山門此の妙高山東城(仮称)や妙高山北方の天ヶ岳城(仮称)が奥丹波勢の砦として明智勢に抵抗を示したか?、第一次合戦時の光秀の陣城小富士城を茶臼山城に移した頃には、黒井城を望める此れ等の砦(いずれも堀切をもつ)が付城として転用されたものか?…築城時期・目的・城主等城史は一切不明。
神池寺境内「すまずの池」
衆徒の寄進により天正15年(1587)堂宇再建成り昔日をしのぶ賑わいとなったが元禄(1688~)の頃より寺運衰退し其の後も急速に廃頽していった。一帯は多紀連山県立自然公園の一角で「ひょうご森林浴場50選」にも指定され、秋の紅葉も有名だが、近年クリンソウの群生地も発見された。
神池寺境内「すまずの池」
神池寺の寺宝には慈覚大師が彫った不動明王像(木造)・平重盛が国家鎮護を願い法華経八軸を書写し埋めた五輪塔等…数多く伝わるが、なかでも此処に挙兵した護良親王の鎧は明治初年に京都梶井宮(大原三千院門跡)に請われ・鎌倉神社(護良親王を主祭神とする鎌倉市の鎌倉宮<大塔宮とも>)に移されご神体になっている。
神池寺境内の肩切り地蔵尊肩切り地蔵の伝承地は平安時代:貞観2年(860)門前町として栄え・茶屋が軒を並べていた神池寺門前町湯谷(市島町鴨庄北奥でR541号に入り神池分岐を右に入ると塚原、集落内を流れる谷が湯谷ノ谷。上流の神池寺を含め市島町多利)の茶屋の娘と三井庄の男が淡い恋心?逢瀬を楽しみにしていたが…
妙高山頂(妙高山権現神社の礎檀・灯籠が残る)狐か狸に誑(たぶら)かされた…か?。ストーリーは“由緒を尋ねて(丹波新聞社)・現地案内説明板あり…。上記のとおり古来より神池寺へ通じる参詣道は北方に鴨庄から塚原・市島町多利・南からは三井庄や鹿野から、西方は春日町多利・野上野や柚津からも尾根伝いに妙高山頂(奥の院!)から神池寺へと通じている。
妙高山東城(仮称):城域西の切岸下部には短いが20本近い畝状が並ぶ肩切り地蔵尊は三井庄大路からの神池寺道にあったが平成年間:此処に遷されたとある。妙高山東城(仮称)は妙高山頂から神池寺・三井庄へ下る分岐鞍部から東へ延びる丘陵続きに位置する中世城郭。黒井城砦群の一つか?・明智勢傘下に入った某部将が拠った付城の一か?。妙高山頂の削平地形?は黒井城監視の出曲輪か?(城郭類似遺構)として次回に纏めてみたい (^^ゞ
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