初田酒井党城砦群 Ⅰ 謎の空堀群 篠山市

JR篠山口駅前からR176号を北へ”丹波茶の里・大国寺”の案内板が立つ 西古佐の三叉路を左折し西脇市方面に抜ける県道36号に入るコーナー丘陵上に平井山城が、更に味間北集落入口北には味間北城がある。今回は其の味間南方の丘陵山裾にある古刹:文保寺の山門に向かう。松尾山経由の白髪岳登山コース入口でもある文保寺
         文保寺山門
画像
山門から塔頭寺院-本堂へと向い、谷通しに進む中程から振り返れば味間北城と登り口の阿弥陀堂の赤い屋根が見える。尾根に達して松尾山頂に立つと南矢代城主:酒井主水介氏治の築いた酒井党最後の”詰め城”松尾城(高仙寺城)があったところ。松尾 山~音羽山へ東に延びる主尾根の東端部には初田酒井党の大沢城禄庄城
       龍大神(味間南城東裾・井根山城北尾根先端付近)
IMG_1212.JPG
佐幾山城(壊滅)があり、これ等支城群が播磨・摂津に通じる味間谷東入口を押さえている。文保寺参道入口に立つ二村神社の石鳥居の東丘陵先端部の山頂394mに(比高僅か45m程)に味間南城がある。西側から文保寺山門手前から墓地の奥に取り鹿避けフエンスを抜けると高さ2m程の土塁・幅2m・長さ25m程の空掘を見る。
             岩上神社(井根山城北尾根東先端山麓)
IMG_1214.JPG
L字状空掘りは北端でそのまま山の斜面に抜け出ており治山排水用や猪避け濠とも思えず、山麓の城の搦め手口・平坦地形にあって確証はないが虎口とも思えず居館跡だろうか?。空堀は文保寺参道側(味間南城西南麓)墓地と田圃の端や、東南山麓の集合墓地裏手にも高く深いほぼ同規模の空堀や土塁が遺る?。
     味間南城:東山麓墓地背後の土塁・空掘
画像
只:此の城が城域を分ける堀切や土塁・曲輪の切岸等で堅固な防備を施し強化する工夫が余りされていないようなので濠(後世のものか?)や城の使用目的等:不明の築城時期を含め郷土の城史研究に期待したいところです…此処から尾根を伝い急でもない尾根筋は主郭背後の尾根続き鞍部にも堀切はなく、
     井根山城北東山麓岩上神社裏の土塁・空掘?
IMG_1215.JPG
主郭から城域下部の古墓・民家裏へそのまま降り着く。味間南城への取付きを文保寺入口の地区道沿い二村神社鳥居を東へ進み、味間南の北尾根先端を東へ廻り込み谷筋を詰めると直ぐ最奥の養鶏場で行止りとなる手前の墓地の両端からも南城を目指せるが、取付点の墓地背後斜面の藪にも同規模の空堀・土塁遺構が
 井根山城北先端曲輪までも遠く・岩上神社上方斜面で居館でも城の空堀でも無さそう…?
IMG_1216.JPG
確認出来る。土塁は厚みもあり堀も2m程と深いく残存状態も良好だが居館にしては空堀を廻すわけでもなく、背後の高み?に位置しているが、文保寺側同様に堀切・土塁虎口にしては山麓の取付き点近く:堀切部の外側左右から難なく入山‼。余談ながら後日レポートする予定の山城が更に東へ谷を隔てた味間奥・味間南・
     井根山城北山麓に分布する謎!の空堀群…。土塁かと思ったらその先に空堀!!
IMG_1232.JPG
味間新からの尾根北先端409mにもあるが、北斜面麓の神社から南方のケアハウス丹波の郷施設付近へと音羽谷川沿いの緩斜な丘陵裾にも同規模ながら、斜面の低い方に鋭角に折れて口が開く居館?・屋敷跡?の堀切状が7-8箇所(塹壕ではなく:もっと多く点在しているのかも?)見掛ける。居館跡かも知れないが?、
IMG_1233.JPG
L字やコの字状で囲われてはいない様なので居館とも思えないのだが?。此れ等空堀・土塁群については郷志・地誌等や地元郷土史家・市教育員会等専門家の調査結果を待ちたい。 
   次回初田酒井党城砦群Ⅱ 味間南城から文保寺本堂東丘陵上420m付近の上城へ 予定

この記事へのコメント