初田酒井党城砦群Ⅲ 井根山城 篠山市

初田酒井党城砦群Ⅰ 謎の空堀群・初田酒井党城砦群Ⅱ 味間南城に続く初田酒井党城砦群Ⅲ井根山城だが「注意」レポート内容のⅠ・Ⅱ・Ⅲは単独ではなく、其れぞれに共通項目・関連内容が混在するのでⅠからⅡ・ⅡからⅢへと続きます。
    井根山城(正面右)から松尾山城(左)
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味間北城(味間谷の土豪:安村丞太夫・谷後和泉守・味間(三崎)伊豆守秀友)味間南城(平野酒造之丞)・井根山城や、佐幾山城・緑庄城(酒井勘四郎の家臣:杉本氏・石井氏)ー大沢城(酒井勘四郎氏武)ー火とぼし山城(砦)へ繋がる初田酒井党の旧丹南町大沢側(丘稜東)尾根筋や、矢代酒井党の丹南町矢代側(丘稜南)の諸城砦群の多くが
  文保寺本堂参道から南味間城上砦(仮称)望む
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最後の詰城松尾山城(高仙寺城)に繋がっており、敗退・体制立直し等のため松尾山城を目指す!?…其の視点にたち推察してみた。味間南城ー味間南城上砦を経て文保寺からの登山道ー松尾山・白髪岳からの縦走路が合流する肩越の辻に出て火燈山
            南味間城上砦(仮称):竪堀
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(火とぼし山砦)で味間北にある平井山城(火ともし山)と共に常番の見張所だったのかも…?。肩越の辻からは直ぐ石仏を祀る松尾山への近道があるが300m程回り込んで松尾山-白髪岳の登山道「釣鐘の辻」に出る。
       ”釣鐘の辻”白髪岳・松尾山・文保寺・住山への分岐点
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南へは住山を経て不来坂を今田町に向かうR372号に出る。東近くがJR古市駅だが直進しR176号に出ると約1Kmで油井城麓に着く。油井城こそ酒井党の総本山:承久の乱(1221年)の軍功に相模国大住郡から来住した酒井氏の始祖:酒井政親の子:
 鎌倉期のものとされる宝篋印塔(市指定)は”ケアハウス丹波の郷”・岩上神社間の中央付近)
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孝信の弟政重が油井酒井党の祖で矢代・栗須野・当野・波賀野・初田…等、”酒井の庄”に移り住んだ酒井氏一族の其れ其れの武士集団が互いに護り合う武士団「酒井党」となっていった。八上城主:波多野秀治の義弟で八上城落城時の留守将が
   宝篋印塔・加茂神社旧跡の直ぐ背後にも謎の空堀・土塁群がある!!
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二階堂秀香(酒井城主:酒井佐渡守重貞の二男)。攻守にわたる「逃げの城・中継ぎの城」として使用し松尾山城に繫がるのは井根山城禄庄城大沢城等…初田酒井党の城砦群も同様で、最後の詰め城:松尾山城へも再訪し城砦遺構・縄張りから規模や築城目的を再度考察してみたい。
        井根山城:主郭の段曲輪群
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味間南の岩上神社から「ケアハウス丹波の郷」へと岩根山城(409m)の北山麓一帯には初田酒井党城砦群ⅠやⅡで紹介したが消えた集落:夙村一帯の土塁・空堀群(岩上神社裏や宝篋印塔・加茂神社旧跡裏)の分布は不明・不詳なのでペンディング。
        井根山城主郭:防御の主は東斜面
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此の井根山城も市遺跡分布地図や郷土史・市誌等に未掲載・未報告の城砦。井根山城へは出来るだけ急斜面を避けて…と取付点を味間新の岩上神社~ケアハウス丹波の郷付近迄の山麓で謎の空堀群を見掛けたが…井根山城の主郭からは
        井根山城:主郭と二段の帯曲輪
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岩上神社側の北尾根側と、ケアハウス丹波の郷付近からの東尾根側に数段の曲輪を並べ、東尾根側の切岸は高い。両尾根筋の間にも曲輪と両尾根を繋ぐ山道(犬走り?)をみるのは正面の谷から侵攻に備えたものか?。
      井根山城域南尾根続き鞍部の土橋付(堀切?は喰違竪堀状)
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最高所の主曲輪は二段の帯曲輪が廻り東下段曲輪を北に廻り込み上段曲輪に入る虎口状をみるが南へ2-3段延びる主郭部の曲輪幅は8m程で構えて籠もる居住空間もない。南北150m x 東西70m程の城郭規模は近辺では大沢城に次ぐ。此処までか?と思えた主郭部からの尾根続きを下ると一本の長い竪堀状と、
    井根山城:堀切?に続く主郭への尾根沿い竪堀は兵の横移動を禦ぐ為か!
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鞍部に土橋付堀切(食違い状の縦堀?だが)をみる。長い竪堀状は堀切を越え侵攻する敵の横移動を禦ぐ施設と思われる。更に南のピーク(主郭と同比高)迄遺構なく引返したが送電線鉄塔の建つ470m付近や火燈山側の尾根筋合流点までもトレースしてみるべきだったかも…?

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