秋葉神社 篠山市今田町休場
篠山市JR古市駅から不来(この)坂を越えると日本六古窯の一つ丹波焼(今田焼・立杭焼)陶の里に入る。不来坂は平安時代末期(藤原時代)源平合戦の前哨戦”一ノ谷の戦い(鵯越で知られる:神戸市須磨)”に向かう源義経軍が、今田を通り・加東市社に入った三草山の山麓に布陣していた平清盛の孫:資盛(すけもり)軍との戦闘に勝利し
そのまま三木市から神戸北区へと軍を進め一ノ谷の戦いにも勝利し、義経の進軍した此のルートは”義経道”として、ルート内には義経や従者の弁慶・鷲尾三郎・伊勢三郎・笛吹山・・四季山城の馬口池・古市の名無木…等の伝説が残っている。平家軍が待構えていると思った義経だが、一人も居なかったの”平家来ぬ坂”とも、
また平家軍が夕刻になっても現われない義経軍に”源氏来ぬ坂”とも…。義経は古市の住山"集"に兵を集め・夜討ち奇襲に勝利している。不来坂で道草してしまったが今田町上小野原の交差点で”立杭の郷・兵庫陶芸美術館”側へ左折し小野原城東山麓を南下し立杭街道の休場に丘陵先端を落とす秋葉神社が今田町内に数少ない砦跡か?と訪ねたが!。真直ぐ延びる石階段参道は、
割拝殿の両間に板を渡して講が行なわれていたか!?木の第一鳥居は倒れ「立入り禁止」立て札まで…!!。スズメバチの巣があるので…だが、秋葉神社”講”は少子高齢化等で平成29年以降休講…とある。第二鳥居(石造)の扁額「秋葉三尺坊大権現」…愛宕神社と違い:秋葉神社の多くは小さな祠だけ…と思っていたが此処は瓦葺き・土壇も大きな石垣積みで、拝殿は中央を通り抜け本殿前に出る割拝殿構造・阿吽の狛犬も配置され格子窓に千羽鶴が奉納されているが、
左上方向に”立杭”陶の里・兵庫陶芸美術館
詣る人も・納れる人も居ない立杭焼花入れ(節もある竹型)が残るり、拝殿前の広過ぎる空間も侘しい。街道を見下ろす雑木藪の中にテラス状はあるが?。三田市方面からは立杭街道?(県道292号)より加東市・小野市・西脇市方面なら木津城のある県道141号、篠山市・丹波市へはR176号(丹波街道)が利用される筈…!!?
そのまま三木市から神戸北区へと軍を進め一ノ谷の戦いにも勝利し、義経の進軍した此のルートは”義経道”として、ルート内には義経や従者の弁慶・鷲尾三郎・伊勢三郎・笛吹山・・四季山城の馬口池・古市の名無木…等の伝説が残っている。平家軍が待構えていると思った義経だが、一人も居なかったの”平家来ぬ坂”とも、
また平家軍が夕刻になっても現われない義経軍に”源氏来ぬ坂”とも…。義経は古市の住山"集"に兵を集め・夜討ち奇襲に勝利している。不来坂で道草してしまったが今田町上小野原の交差点で”立杭の郷・兵庫陶芸美術館”側へ左折し小野原城東山麓を南下し立杭街道の休場に丘陵先端を落とす秋葉神社が今田町内に数少ない砦跡か?と訪ねたが!。真直ぐ延びる石階段参道は、
割拝殿の両間に板を渡して講が行なわれていたか!?木の第一鳥居は倒れ「立入り禁止」立て札まで…!!。スズメバチの巣があるので…だが、秋葉神社”講”は少子高齢化等で平成29年以降休講…とある。第二鳥居(石造)の扁額「秋葉三尺坊大権現」…愛宕神社と違い:秋葉神社の多くは小さな祠だけ…と思っていたが此処は瓦葺き・土壇も大きな石垣積みで、拝殿は中央を通り抜け本殿前に出る割拝殿構造・阿吽の狛犬も配置され格子窓に千羽鶴が奉納されているが、
左上方向に”立杭”陶の里・兵庫陶芸美術館
詣る人も・納れる人も居ない立杭焼花入れ(節もある竹型)が残るり、拝殿前の広過ぎる空間も侘しい。街道を見下ろす雑木藪の中にテラス状はあるが?。三田市方面からは立杭街道?(県道292号)より加東市・小野市・西脇市方面なら木津城のある県道141号、篠山市・丹波市へはR176号(丹波街道)が利用される筈…!!?
この記事へのコメント