Pop-Up 動物BOX Ⅲオクトパス (Papercraft)

震災(1955・1・17)でJR東佐野・南海鶴原近くに県外疎開していた頃、岸和田城・岸和田だんじり会館前から貝塚へ廻り油甚(スーパー)にも寄り”まだ此処で営業されているのかな?!”帰った。南海電鉄岸和田・貝塚間に蛸地蔵駅がある。日本一大きな地蔵堂で蛸絵馬の奉納・蛸地蔵駅には蛸がステンドグラスに描かれて…!。プロローグ伝説に続き…時代を越えて岸和田城を救った蛸伝承がある…
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建武(1334-6 南北朝期)岸和田古城(現:岸和田城の南?)は楠木正成の甥・和田和泉守が城主「岸の和田氏(岸和田の名起源)」の頃、岸和田古城に高波が押し寄せてきたが大蛸に乗った地蔵が現われると荒れ狂う波風止み静まった。其の後:天正12年(1584)雑賀・根来・粉河寺宗徒(紀州の一向宗)等が数で勝る大軍勢で攻め込む岸和田城合戦には岸和田城主:中村一氏・松浦宗清が守っていた。危うくなったとき蛸に乗った法師が現われ紀州勢を薙ぎ倒し…更に幾千万の蛸の大群が現われ・紀州勢を退却させた…伝承がある。数で劣勢の岸和田城を蛸に比喩されるのは秀吉軍の援軍か…!。
阪南には2年と少し…県外疎開中でなければ古岸和田城・千石堀城・沢城や積善寺城…何もなくても旧街道等歩いてみたかった

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