芦屋城 Ⅱ:遺構 美方郡新温泉町
芦屋城の所在地や伝承・周辺の景観等…諸々について芦屋城 プロローグに触れてきたので主題に移ります…。芦屋城(新温泉町<旧浜坂町>芦屋・諸寄)は別名を亀城/亀山城/阿勢井城と呼ばれ諸寄港東側にあり諸寄城の名もあるが、諸寄近場にも幾つか城砦があるようなので”諸寄城”の名は暫く”お預け”しておくのが良いのかも!?。
芦屋城主郭西部南端の二段帯曲輪(上段は主郭東部虎口まで延びる)芦屋の山城は鳥取県との国境にあって:但馬海岸沿いの諸寄・浜坂の港を利用する海上交通要衝地?の押さえとして築かれた山城?(築城目的は海城か!?)で、北方を但馬の海に突出す半島の付け根付近にあって西に諸寄港・東に芦屋集落・浜坂港を見下ろす岩場の断崖・絶壁の天然の要害に囲まれ、南方を望むと青垣迫る山塊が
芦屋城主郭西端櫓台?の下から諸寄漁港と北西尾根先の出曲輪・但馬の海岸線を望む重畳と続く…其の半島丘陵部の海抜176m山頂に主郭が築かれ、主郭部西端に井戸跡とされる穴?(天水受け井戸か、半地下式の貯蔵倉か?)・櫓台?とも云われるが城域拡張のつもりも露岩部の為削り残して用途不詳?。櫓台設置スペースはあるが必要性は薄いが、露岩部頂部へは高さ2.5m程の土塁沿い。
主郭西部の削り残し(櫓台?と井戸跡か半地下貯蔵庫?)と土塁
此処から西北の細い尾根筋を降る先端部に三段ほどの曲輪を並べる潮見(?の見張所的)出郭・主郭東部の最高所(美方郡広域事務組合の”はまさか”基地局が建つ)が主曲輪で昭和59年(1984)中継局設置工事に伴う発掘調査が行なわれ掘立柱建物跡等遺構が検出され青磁・白磁・天目茶碗・古銭・硯などが多数出土している。
主郭虎口(左手前から西へ帯曲輪)・正面西郭・右手に最高所の東郭一段東下の曲輪にはNHK中継無線?中継アンテナ塔の建つ施設があるが旧状は不明。尾根続きは藪地の丘陵部なので巡視路兼城山登山道を少し下って(旧巡視路?階段があり…堀切?とされている鞍部だが?)其の間の幅狭い尾根筋に土留め石積?を残す4段程の小曲輪が並び、上り返した東峰小ピークが”二ノ丸”郭で
主郭北西尾根先の出曲輪(帯曲輪?諸寄漁港側は冬季の風除用?)主郭に次ぐ幅も広い曲輪が2-3段続く。西端の曲輪から南東へ帯曲輪が虎口受け曲輪まで延び。此処から二ノ丸曲輪群中央部に上がる虎口があり、低い段差で曲輪を分けているようでコンクリートで固めた石塁が残る?。祠があったのかも?…NHK標柱が埋れて曲輪東端下にもコンクリートで壁面を固めた施設跡があり、
二ノ丸手前の小曲輪群(登山道脇石段上が堀切?)残石と曲輪間の土留石列二ノ丸尾根筋は本ノ丸主郭下の施設が出来るまで旧施設群と巡視路であったかも?。二ノ丸郭の北切岸下部には土留めらしい石積/石垣がある。虎口受け曲輪のある南切岸下方に曲輪はないが二重堀切がある。ただ二重堀切より南下方に向かって左右にランダムに拡がり気味の小曲輪群が無数?に現われるが、猪のヌタ場跡?もあり寧ろヌタ場の方が曲輪群より広いくらい…!。
二ノ丸郭中央北斜面(麓は居館部)の石垣?本ノ丸郭の東麓は居館部とされるが其の居館先端付近にも西尾氏図面には曲輪群が示されている。確認していないが長い城史をもつ塩冶氏の初期の縄張りなのかも知れないが…中世の城遺構からは割愛する!!。本ノ丸郭の東麓(浜坂放送局の電波アンテナ塔が建つ)から太いフイックスロープを頼りに激急斜面を降る
二ノ丸:南面帯曲輪東端(虎口受曲輪?)の南尾根二重堀切の一北尾根が遊歩道と合流する鞍部(切通)に降立つ手前にも極狭く斜傾斜する地形は山抜け状態?の曲輪とするには主郭から離れて過ぎ?、荒れた遊歩道も此の尾根先部の腹を巻いて切通し道に出る。未確認だが主郭東尾根先端:浜坂漁港側の居館部(近世の陣屋?)背後の丘陵部に点在する旧城郭曲輪群?の方が有効かも。
芦屋城主郭西部南端の二段帯曲輪(上段は主郭東部虎口まで延びる)芦屋の山城は鳥取県との国境にあって:但馬海岸沿いの諸寄・浜坂の港を利用する海上交通要衝地?の押さえとして築かれた山城?(築城目的は海城か!?)で、北方を但馬の海に突出す半島の付け根付近にあって西に諸寄港・東に芦屋集落・浜坂港を見下ろす岩場の断崖・絶壁の天然の要害に囲まれ、南方を望むと青垣迫る山塊が
芦屋城主郭西端櫓台?の下から諸寄漁港と北西尾根先の出曲輪・但馬の海岸線を望む重畳と続く…其の半島丘陵部の海抜176m山頂に主郭が築かれ、主郭部西端に井戸跡とされる穴?(天水受け井戸か、半地下式の貯蔵倉か?)・櫓台?とも云われるが城域拡張のつもりも露岩部の為削り残して用途不詳?。櫓台設置スペースはあるが必要性は薄いが、露岩部頂部へは高さ2.5m程の土塁沿い。
主郭西部の削り残し(櫓台?と井戸跡か半地下貯蔵庫?)と土塁
此処から西北の細い尾根筋を降る先端部に三段ほどの曲輪を並べる潮見(?の見張所的)出郭・主郭東部の最高所(美方郡広域事務組合の”はまさか”基地局が建つ)が主曲輪で昭和59年(1984)中継局設置工事に伴う発掘調査が行なわれ掘立柱建物跡等遺構が検出され青磁・白磁・天目茶碗・古銭・硯などが多数出土している。
主郭虎口(左手前から西へ帯曲輪)・正面西郭・右手に最高所の東郭一段東下の曲輪にはNHK中継無線?中継アンテナ塔の建つ施設があるが旧状は不明。尾根続きは藪地の丘陵部なので巡視路兼城山登山道を少し下って(旧巡視路?階段があり…堀切?とされている鞍部だが?)其の間の幅狭い尾根筋に土留め石積?を残す4段程の小曲輪が並び、上り返した東峰小ピークが”二ノ丸”郭で
主郭北西尾根先の出曲輪(帯曲輪?諸寄漁港側は冬季の風除用?)主郭に次ぐ幅も広い曲輪が2-3段続く。西端の曲輪から南東へ帯曲輪が虎口受け曲輪まで延び。此処から二ノ丸曲輪群中央部に上がる虎口があり、低い段差で曲輪を分けているようでコンクリートで固めた石塁が残る?。祠があったのかも?…NHK標柱が埋れて曲輪東端下にもコンクリートで壁面を固めた施設跡があり、
二ノ丸手前の小曲輪群(登山道脇石段上が堀切?)残石と曲輪間の土留石列二ノ丸尾根筋は本ノ丸主郭下の施設が出来るまで旧施設群と巡視路であったかも?。二ノ丸郭の北切岸下部には土留めらしい石積/石垣がある。虎口受け曲輪のある南切岸下方に曲輪はないが二重堀切がある。ただ二重堀切より南下方に向かって左右にランダムに拡がり気味の小曲輪群が無数?に現われるが、猪のヌタ場跡?もあり寧ろヌタ場の方が曲輪群より広いくらい…!。
二ノ丸郭中央北斜面(麓は居館部)の石垣?本ノ丸郭の東麓は居館部とされるが其の居館先端付近にも西尾氏図面には曲輪群が示されている。確認していないが長い城史をもつ塩冶氏の初期の縄張りなのかも知れないが…中世の城遺構からは割愛する!!。本ノ丸郭の東麓(浜坂放送局の電波アンテナ塔が建つ)から太いフイックスロープを頼りに激急斜面を降る
二ノ丸:南面帯曲輪東端(虎口受曲輪?)の南尾根二重堀切の一北尾根が遊歩道と合流する鞍部(切通)に降立つ手前にも極狭く斜傾斜する地形は山抜け状態?の曲輪とするには主郭から離れて過ぎ?、荒れた遊歩道も此の尾根先部の腹を巻いて切通し道に出る。未確認だが主郭東尾根先端:浜坂漁港側の居館部(近世の陣屋?)背後の丘陵部に点在する旧城郭曲輪群?の方が有効かも。
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