三木合戦付城群Ⅲ 三木山森林公園鉄塔口砦(仮称)
志染川左岸と美嚢川右岸に挟まれて観光ぶどう園で知られる平井山の段丘一帯に平井山の上付城・平井村中村間の山付城や三木合戦の陣中において死去した竹中(半兵衛)重治廟所がある。志染川を合わせた美嚢川が大きく湾曲して西に向かうコーナー付近が三木市中心部で南側の丘陵部(河川段丘?)に釜山城(三木城)があり、
釜山城(三木城):別所長治公像と天守台・東屋左端にカンカン井戸三木城包囲の付城群は20数ヶ所が確認されているが推定約40ヶ所…ともされるが、平井村中村間ノ山付城が秀吉本陣(本営)跡と云い現地に平成6年頃立てられていた案内板…が”平井山ノ上付城”が発見され以後は全て(伝)竹中半兵衛陣所跡と修正されていた様に思うが!?…江戸時代前期に描かれた「播磨国平井山」絵図を頼りに
天守台から美嚢川:神戸電鉄の左裾に上の丸駅・遠くに平田山・加佐付近の付城群
現地確認調査され、山間を隔て南側丘陵上が”平井山ノ上付城(羽柴秀吉本陣跡)”…あることがわかった。三木合戦付城群Ⅱに記した平田村山ノ上付城(平田山城!?)も2ー3点在する曲輪位置によりA/B/C表記すべきかも?。三木合戦付城群の特徴等から”三木市立みき歴史資料館資料”によると1ー3期(序盤・中盤・終盤?)に分類される。
三木城二ノ丸跡:美術館・歴史資料館が建つその第1期(天正6年7月)に秀吉本陣の平井山があるが、付城背後には長治の叔父:淡河弾正(神戸市北区)や東播磨:吉川方面の別所方領主ら友軍への防禦も…。西方にも毛利方の援軍や加古川から小野市境の美嚢川を三木城下まで直接水運で繫がる兵糧搬入阻止は最重要なのだが美嚢川からも三木本城からも離れた北方に第3期
鷹尾山城:体育センターに近接する大土塁・内側が主郭(天正7年10月)平田の付城がある。美嚢川を眼下に収める三木城主郭(天守台・かんかん井戸)・三木城二ノ丸(みき歴史資料館)・三木新城(宅地開発で壊滅・キャッスル名の集合住宅はあるが!!)・新城の東北に位置する正入寺も長治の弟:治定の居館勝入寺城(平山丸)で南裏手の深く幅広空堀底?を神戸電鉄粟生線が走り抜けてゆく。
森林公園鉄塔口砦は”森林公園前バス停”裏にあり車道向かいはテニスコート新城の南に鷹尾山城(勤労者体育センタ-西裏手・竪堀西下方に別所長治公首塚の龍雲寺)・宮ノ上要害(高尾山城の南・中央図書館裏)、其の南には県道20号を挟んで三木山森林公園と三木山総合公園がある。三木山総合公園東端には君ヶ峰城がある。秀吉の弟:羽柴秀長の付城だが元:三木城古城の”霧ヶ峰城”。
鉄塔口砦:西面は森林公園側に落ちる谷(竪堀?:2ッ下の画像参照)包囲網第3期(天正7年10月)ともなると包囲を狭め八幡谷ノ上明石道付城…等軍勢の駐屯可能な付城を中心に主要街道(明石道:県道22号?や三木山森林公園間を抜ける義経道!県道563号?…等)を押さえ、八幡谷ノ上明石道・二位谷・君ヶ峰と樅山付城(三木山総合運動公園内?)に最前線付城を築いているが…丹波八上城攻めにも主郭まで
鉄塔(曲輪?)前を森林公園に下る尾根左右は深い谷直近500m程の至近距離に築いた光秀の八上城南東砦(仮称)を彷彿とさせる”鷹尾山城・宮ノ上要害直近(総合運動公園前バス停)にあり、郷土史家「三木飛行場を記憶する会」主催M氏に以前案内していただいたのが此の鉄塔口砦(仮称)で三木山総合公園テニスコート北裏から森林公園側間の車道は土橋で隔てる谷であった…と。
鉄塔(砦)の西斜面を森林公園側に落ちる谷バス停背後丘陵上に鉄塔が建つが小広い方形曲輪!で、北と西の森林公園間の深い谷に挟まれた急な細い尾根筋を降り森林公園内の展望休憩舎へ続く山道がある。三木山総合運動公園前バス停の三木山総合公園テニスコート北側から東の福田池までは深い谷で繫がる。バス停西裏の鉄塔から南へは
バス停南の車道側土塁状?を越え、西の崖状間を鉄塔まで延びる入口車道沿い西側には森林公園駐車場までに建物は一軒家カフェがあるだけで、丁度其の中程から土塁道状山道が鉄塔に繫がるが西面は深い谷・土塁道は単に車道建設・拡幅工事による削り残し残土かも…?。カフェの南:エコガーデン(リサイクルショップか?)で車道が左右に分れる。
鉄塔口砦(仮称):北も車道からの西斜面は深い?(雑木藪で不明)谷直進は森林公園を南へ下り福井の「八幡谷」交差点に出るが県道22号線西100m程に土塁囲いの福井八幡谷付城(仮称)があり、明石道峯構付城に向かう(神戸三木線)。エコガーデン前三叉路を左折は二位谷奥付城を抜け県道563号?…を須磨の浦へと向かう義経道!。次回:Ⅳは南下して「八幡谷」交差点付近の福井八幡谷付城を…
釜山城(三木城):別所長治公像と天守台・東屋左端にカンカン井戸三木城包囲の付城群は20数ヶ所が確認されているが推定約40ヶ所…ともされるが、平井村中村間ノ山付城が秀吉本陣(本営)跡と云い現地に平成6年頃立てられていた案内板…が”平井山ノ上付城”が発見され以後は全て(伝)竹中半兵衛陣所跡と修正されていた様に思うが!?…江戸時代前期に描かれた「播磨国平井山」絵図を頼りに
天守台から美嚢川:神戸電鉄の左裾に上の丸駅・遠くに平田山・加佐付近の付城群
現地確認調査され、山間を隔て南側丘陵上が”平井山ノ上付城(羽柴秀吉本陣跡)”…あることがわかった。三木合戦付城群Ⅱに記した平田村山ノ上付城(平田山城!?)も2ー3点在する曲輪位置によりA/B/C表記すべきかも?。三木合戦付城群の特徴等から”三木市立みき歴史資料館資料”によると1ー3期(序盤・中盤・終盤?)に分類される。
三木城二ノ丸跡:美術館・歴史資料館が建つその第1期(天正6年7月)に秀吉本陣の平井山があるが、付城背後には長治の叔父:淡河弾正(神戸市北区)や東播磨:吉川方面の別所方領主ら友軍への防禦も…。西方にも毛利方の援軍や加古川から小野市境の美嚢川を三木城下まで直接水運で繫がる兵糧搬入阻止は最重要なのだが美嚢川からも三木本城からも離れた北方に第3期
鷹尾山城:体育センターに近接する大土塁・内側が主郭(天正7年10月)平田の付城がある。美嚢川を眼下に収める三木城主郭(天守台・かんかん井戸)・三木城二ノ丸(みき歴史資料館)・三木新城(宅地開発で壊滅・キャッスル名の集合住宅はあるが!!)・新城の東北に位置する正入寺も長治の弟:治定の居館勝入寺城(平山丸)で南裏手の深く幅広空堀底?を神戸電鉄粟生線が走り抜けてゆく。
森林公園鉄塔口砦は”森林公園前バス停”裏にあり車道向かいはテニスコート新城の南に鷹尾山城(勤労者体育センタ-西裏手・竪堀西下方に別所長治公首塚の龍雲寺)・宮ノ上要害(高尾山城の南・中央図書館裏)、其の南には県道20号を挟んで三木山森林公園と三木山総合公園がある。三木山総合公園東端には君ヶ峰城がある。秀吉の弟:羽柴秀長の付城だが元:三木城古城の”霧ヶ峰城”。
鉄塔口砦:西面は森林公園側に落ちる谷(竪堀?:2ッ下の画像参照)包囲網第3期(天正7年10月)ともなると包囲を狭め八幡谷ノ上明石道付城…等軍勢の駐屯可能な付城を中心に主要街道(明石道:県道22号?や三木山森林公園間を抜ける義経道!県道563号?…等)を押さえ、八幡谷ノ上明石道・二位谷・君ヶ峰と樅山付城(三木山総合運動公園内?)に最前線付城を築いているが…丹波八上城攻めにも主郭まで
鉄塔(曲輪?)前を森林公園に下る尾根左右は深い谷直近500m程の至近距離に築いた光秀の八上城南東砦(仮称)を彷彿とさせる”鷹尾山城・宮ノ上要害直近(総合運動公園前バス停)にあり、郷土史家「三木飛行場を記憶する会」主催M氏に以前案内していただいたのが此の鉄塔口砦(仮称)で三木山総合公園テニスコート北裏から森林公園側間の車道は土橋で隔てる谷であった…と。
鉄塔(砦)の西斜面を森林公園側に落ちる谷バス停背後丘陵上に鉄塔が建つが小広い方形曲輪!で、北と西の森林公園間の深い谷に挟まれた急な細い尾根筋を降り森林公園内の展望休憩舎へ続く山道がある。三木山総合運動公園前バス停の三木山総合公園テニスコート北側から東の福田池までは深い谷で繫がる。バス停西裏の鉄塔から南へは
バス停南の車道側土塁状?を越え、西の崖状間を鉄塔まで延びる入口車道沿い西側には森林公園駐車場までに建物は一軒家カフェがあるだけで、丁度其の中程から土塁道状山道が鉄塔に繫がるが西面は深い谷・土塁道は単に車道建設・拡幅工事による削り残し残土かも…?。カフェの南:エコガーデン(リサイクルショップか?)で車道が左右に分れる。
鉄塔口砦(仮称):北も車道からの西斜面は深い?(雑木藪で不明)谷直進は森林公園を南へ下り福井の「八幡谷」交差点に出るが県道22号線西100m程に土塁囲いの福井八幡谷付城(仮称)があり、明石道峯構付城に向かう(神戸三木線)。エコガーデン前三叉路を左折は二位谷奥付城を抜け県道563号?…を須磨の浦へと向かう義経道!。次回:Ⅳは南下して「八幡谷」交差点付近の福井八幡谷付城を…
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