中佐治:市岡代官屋敷  丹波市

旧ブログの市岡代官屋敷については吉盛氏(神戸新聞総合出版センター版「但馬の殿様」著者)コメントをいただいていた。北近畿自動車道”青垣IC”を県道7号に降りると左手に岩屋山パラグライダー基地の岩屋山を、北方に大箕山(丹波冨士)の姿が正面に見えてきます。子午線通過点(東経135度)モニュメントが立つ「小倉」交差点を右折して此の大箕山の南山裾を遠阪峠へ向かいます。
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北方への直進は大名草から但馬生野や播州峠を越え西脇市方面・左折すると旧山陰道佐治宿です。丹波・但馬国境の佐治宿を発ち遠阪峠に向かう但馬街道・旧山陰道(出雲道)の道筋を今も僅かに遺しているのが中佐治代官所(杉谷の市岡氏代官屋敷跡)まえ。前期丹波国氷上郡(丹波市)柏原藩織田家(信長の弟:信包)が伊勢安濃津から移封され立藩したが3代目の信勝に継嗣なく廃藩となり…
       代官所前の旧山陰道
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45年あまり幕府領だったが、織田家(大和宇陀藩)の信休が入部し元禄8年(1695)後期織田家柏原藩を立藩したが柏原藩のほか:100を超える?(一村に2-3の藩による入り組みもあり)鶴牧藩水野家や亀山藩(亀岡市)等譜代大名の陣屋や外様・旗本…なかには監視等目付的な任もあってか数多くの領主・代官所が置かれている。
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遠阪峠を越え和田山方面に抜けるR427号が旧山陰道(出雲道・但馬街道)。R427号沿い民家の裏手へ縦断する溝と細い道・秋葉神社へ向う参道、入口に大きな自然石の常夜燈が建ち苔むした石垣を見るが、地元の人でないと短い路地道を其れと気付く人は少ない!?。中佐治村代官所(市岡代官屋敷)は旗本:市岡佐太夫”旧杉谷村・市原村”と旗本:平岩七之丞(平岩家代官屋敷)”旧中佐治・岡見・平野有河内”)が中佐治村領地を分領支配している。
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市岡家や平岩家の代官を任命された足立某氏は「室町時代初期の応永4年(1397)足立家庶流:助之丞政忠が来住…(氷上郡志)」代官職の任に充る足立某!氏だが、中佐治代官屋敷の平岩家は一般民家なので未訪だが”平野・字殿谷の古屋敷・罪人専用の出入口や裁きの石”があることは知られている。元:足立姓だが領主で旗本の平岡?(平岩)の姓を賜ったものか…。地元「遠阪村探究会」(平成28年)誌の中佐治地区編に平岩家とあり、氷上郡全土を領有していた柏原藩織田家も後期織田家になると村単位に領主が置かれ、中佐治村も旗本の平岩氏・市岡氏が分領し、管理には手代や現地有力大庄屋を代官としている。

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