和田岩尾城(蛇山伝説) 丹波市

”丹波”…は京都丹波(福知山市・綾部市…)と兵庫丹波(丹波市・篠山市)があり、戦国史…等には京都市からみて口丹波(亀岡市…)・中丹波(篠山市…)・奥丹波(丹波市…)と区分する呼び方もあるようですが、私のブログ「丹波…」は兵庫丹波(丹波市・篠山市)が主題。「丹波のむかしばなし」が”兵庫丹波の森協会”から発行され、
       和田岩尾城(近世:総石垣の主郭部・天守)
IMG_1005.JPG
図書館等での”読み聞かせ”やFM丹でも朗読放送されることも…。民話なら狐の恩返し…的な大河の嫁ヶ橋や大蛇のすまずの池や狐か狸に化かされてか肩切り地蔵…等があるが子供向けには、さすがに一部を除き落城悲話や猟奇伝承の集録は数少ない?と思われる…岩尾城の総石垣造り築城は天正14年【羽柴秀吉は豊臣政権を
        応地の石造双体道祖神
IMG_1051.JPG
確立させ】豊臣秀吉により和田の領主となった佐野栄有(木戸十乗坊)によるもの。此のお話は天正7年明智光秀の侵攻に落城した「土の城」の中世古城。「丹波志」に正元年(1504)2代目谷(兵部介)頼衡(よりひら)に継嗣なく、信濃国から来村し武芸・
      蛇ない:元気に暴れ回る程・その年は豊作になると…
画像
学問に勝れた甥の谷斉頼を婿養子に迎えたが、家臣の讒言により養父を刺殺・自ら家督を継ぎ和田姓を名乗った3代目:和田日向守斉頼が永正13年(1516)「?大永4年(1524)谷基綱か?」が蛇山(358m)に築城したのが和田城(蛇山岩尾城)で、此の事は梶の城山 Ⅰ(無縁五輪塔)を参照してください。
      谷兵部介の五輪塔:菩薩像は夫人の供養碑か?
IMG_t4740111.jpg
岩尾古城(土の城)への搦手口であったか大手?の応地集落には信濃国に観る石造双体道祖神(田の神なら何ヶ所かある!?)が祀られ、此処には子供達を救ってくれた蛇に感謝する「蛇ない」年中行事があるが…”蛇山の岩尾城”は「蛇の子を産んだという家中の人妻にまつわる猟奇伝説」です。
     中世の古城部:土塁囲みの細長い曲輪(前後を堀切で遮断している)
IMG_1017.JPG
義父を刺殺した和田斉頼は其の後:亡霊に取憑かれたか悪夢に悩まされ家臣を惨殺することも再々…家中に異変も次々おこり己の罪の深さに心晴れぬ日々を過ごしていたが、信州から従えて来た家臣とその妻の身にも大きな変化がおきていた。ある日城勤めを終え帰ってきた夫を迎える妻の姿は寂しく・身振りもよそよそしく
  中世の土城と近世石の城が混在する岩尾城:古城?大曲輪から大土塁(左上)へ
IMG_1015.JPG
その後も妻の様子は傍目にも異常に感じられ・ものに憑かれたような妻の挙動に不審を抱いた夫は「一晩寝ずに看病してやろう」と密かに傍に眠っている妻を窺っていた。やがて夜も白む頃何事もなく思い過ごしであったか…と心の緊張が解けついウトウトと浅い眠りに落ち…ふと目覚めた夫は意外な物を見てハッとした。
          天守台から蛇山山頂の大土塁
IMG_1010.JPG
傍に寝ている妻の髪は夜霧の中を歩き回ったかのようにびっしょり濡れていた。僅かに微睡(まどろぶ)んでいる間に妻が何処へ出かけられよう。妻を問いただす事を差し控え何時ものように登城した…が其の後も、毎夜髪を濡らした妻の寝姿に「これは不思議 何かある」とある日城を下り親友達を訪ね歩き帰宅すると
        大曲輪西」切岸下の二重堀切
IMG_1018.JPG
玄関も雨戸も閉められていた。ものの怪を感じ・怪しみながら小窓から家の中を覗いて驚いた。妻がうなり声を吐いて苦しみのた打ち回っている。そして妻の腹からは蛇の子が何匹も産まれ出て這いまわっていた。吃驚した夫は故郷の信州に逃げ帰り和田に戻ってくることはなかった。
       蛇山岩尾城から和田城下丹波霧に沈む和田城下と播州国境尾根
IMG_1003.JPG
更に岩尾城には相次ぐ不測の災いが続き、領主:和田日向守斉頼は天運に抗すべくもなく不遇の生涯を終えたという。その子和田師季は荻野直正配下にあり天正7年唯一残っていた黒井城支城高見城城主赤井五郎(忠家)らと柏原八幡(光秀本陣)(元々は高見城城砦群の一?)へ出撃し討死した…!?という。
       下知殿丸から蛇山岩尾城を望む
IMG_0993.JPG

この記事へのコメント