河原町界隈 Ⅲ 王地山と負け嫌い稲荷社 篠山市

王地山公園は奈良時代末期:平安遷都の王城候補地の一つとして藤原黒智麻呂が下検分に来たことから「王地」の名が生まれ「…七尾七谷時雨して モミジ色増す王地山」と篠山小唄に謳われた「王地山公園」は緑がおおく紅葉・山桜の名所でもある。
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また篠山築城の際は笹山砦(現:篠山城)・諏訪山(飛の山城)とともに候補に挙がったところ。南面山裾は篠山城の町割による商家町”河原町商家群”が東西に延びる…商家町通りを挟み込むように丘陵と県道77号・篠山川が外郭を囲っているよう。
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丘陵部南面は断崖状で眼下の篠山川沿い盆地の東西は遮るものなく南西約2.5kmに八上城を望む。京街道を監視出来る要衝と天然の要害の立地条件からも八上城城砦群の一:王地山砦か?、明智光秀による八上城包囲の付城群の一つとは考えられます。西1Km並びに野間・塚ノ山・勝山・般若寺城…等付城が
       王地山砦?:最高所付近から東斜面に延びる土塁線(南側は崖)
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八上城に正対している。京街道を正面に監視出来、橋(京口橋)さえあれば市街地を抜け但馬・山陰への要衝地で、篠山城築城候補に挙がった位置に城砦遺構がない事のほうがの不思議?。県の遺跡分布地図に位置や詳細コメントは空白だが城砦名だけは記され、断崖状南東斜面に観る土塁線・麓の古墳も付城改修遺構か?。
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王地山最高所の平坦地や段差がどうにも城砦遺構に見えてくる…。先のブログ:河原町界隈 Ⅱ上河原町庚申堂にも記しているが、王地山公園内から王地山まけきらい稲荷社へ幾つかの遊歩道が通じ、河原町通りから”赤い鳥居が建ち並ぶ長い石段参道”が続く観光スポットもある。
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登り詰めると篠山藩2代目城主(藤井)松平信吉が元和5年(1619)常陸国土浦から「本経寺」とともに遷した「王地山稲荷神社」があり、本殿前には負け嫌い稲荷伝説の大関「王地山平左衛門稲荷社」が祀られ台座は土俵の形をしているよ!。
次回本題!!の河原町界隈 Ⅳ 稲荷社の頼尊又四郎 壱と弐 で紹介します。
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四股名に領内に散存する地名・稲荷社山号を力士名としているなか、ひとり地名や山号を持たない稲荷社の力士頼尊又四郎がいるが元来キツネではない! しかも化粧まわしをつけたキツネ像は王地山稲荷本尊”王地山平左衛門”より目立つ存在だが、元々は王地山稲荷社を奥の院とする本経寺にあったもの。

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