円通寺 Ⅲ 境内(1)と御油 丹波市
円通寺 Ⅱでは円通寺縁起や明智光秀の寺社焼討ちによる兵火の災禍を免れた円通寺の逸話…等に触れたが…、円通寺(氷上町御油)の北方:北御油に延喜式(旧賀茂大明神)神野神社がある。別雷神を主祭神に嵯峨天皇を祀り寛平年代(889ー898)創建を伝えるが円通寺創建(1382年)の際:其の地を譲り現在地に遷されたと云う。
神野神社入口の稲荷社(砦!?)から山陰道・佐治川を望む開山の英仲法俊(足利尊氏の第4子)は永沢寺(三田市)の開山:通幻寂霊禅師(元亨2ー明徳2年 1322-91)の法孫。御油は御油田の略で寺社の灯明油に当てられ、円通寺の燈明田もあったのでしょう。御油は古くから”桐の実”の油を下鴨神社使用の御燈明に献上していたところから付けられた地名とも云われる。
薬師堂(構居跡!?)
御油にある延喜式加茂神社神野神社(旧賀茂大明神)は別雷神を主祭神に嵯峨天皇を祀り宇田天皇の寛平年間(889-898)左大臣源融(源氏物語:光源氏のモデル)が賀茂大明神を建立し賀詞の「御魂の振油(神または天皇の加護・恩徳等を表わす)を斎奉る」から御油と命名したと「神野神社縁起?」…と伝える。
往古:円通寺の山中にあり御神体は座禅岩のところに祀ってあったと云われる神野神社と、その外宮で南御油に在った貴船神社を共に円通寺の創建時に土地を譲って現在地の北御油に遷されたという…。曹洞宗中本山円通寺や式内社神野神社は延喜式山陰道・但馬道の要衝にあって丹波の商業中心地にも近い。
山門の南へ突出す左右には仁王門ではなく二天門で木造四天王”仏法を護る為に祀られる四方位の守護神(広目天・多聞天…)”のうち”増長天・広目天”の二天を置く。山門を潜ると秋にはモミジのトンネルを抜け"放生池"の中央に配された石橋を渡り境内に続く参道からは水面に映り込む紅葉の景観は見事だが春は桜(イトザクラ)・
夏はアジサイや睡蓮も楽しめる。嘗て:池傍には源融が寛平年間(889-898)建立した賀茂大明神(町内賀茂)・神野神社(町内北御油)域へ円通寺建立の際に譲り遷っている。池端の大杉は樹齢700年?といわれるが。円通寺創建(1382年)から約640年なので一寸計算が…?とはいえ大杉が賀茂大明神の御神木だったとは伝わる?。
神野神社
神野神社入口の稲荷社(砦!?)から山陰道・佐治川を望む開山の英仲法俊(足利尊氏の第4子)は永沢寺(三田市)の開山:通幻寂霊禅師(元亨2ー明徳2年 1322-91)の法孫。御油は御油田の略で寺社の灯明油に当てられ、円通寺の燈明田もあったのでしょう。御油は古くから”桐の実”の油を下鴨神社使用の御燈明に献上していたところから付けられた地名とも云われる。
薬師堂(構居跡!?)
御油にある延喜式加茂神社神野神社(旧賀茂大明神)は別雷神を主祭神に嵯峨天皇を祀り宇田天皇の寛平年間(889-898)左大臣源融(源氏物語:光源氏のモデル)が賀茂大明神を建立し賀詞の「御魂の振油(神または天皇の加護・恩徳等を表わす)を斎奉る」から御油と命名したと「神野神社縁起?」…と伝える。
往古:円通寺の山中にあり御神体は座禅岩のところに祀ってあったと云われる神野神社と、その外宮で南御油に在った貴船神社を共に円通寺の創建時に土地を譲って現在地の北御油に遷されたという…。曹洞宗中本山円通寺や式内社神野神社は延喜式山陰道・但馬道の要衝にあって丹波の商業中心地にも近い。
山門の南へ突出す左右には仁王門ではなく二天門で木造四天王”仏法を護る為に祀られる四方位の守護神(広目天・多聞天…)”のうち”増長天・広目天”の二天を置く。山門を潜ると秋にはモミジのトンネルを抜け"放生池"の中央に配された石橋を渡り境内に続く参道からは水面に映り込む紅葉の景観は見事だが春は桜(イトザクラ)・
夏はアジサイや睡蓮も楽しめる。嘗て:池傍には源融が寛平年間(889-898)建立した賀茂大明神(町内賀茂)・神野神社(町内北御油)域へ円通寺建立の際に譲り遷っている。池端の大杉は樹齢700年?といわれるが。円通寺創建(1382年)から約640年なので一寸計算が…?とはいえ大杉が賀茂大明神の御神木だったとは伝わる?。
神野神社
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