姫滝と鳴尾山城 西脇市

県道346号が県道34号(西脇八千代市川線)に合流する「野村西」交差点付近:以前は”東播水産”の生鮮魚介類や特産・野菜類も揃う市場があり活気があったが此の「野村西」交差点を南へ直進する急に幅狭くなる車道は直ぐ野間川に架かる重国橋北詰(歩行者・自転車専用)に出る。
      姫滝と左上民家背後の鳴尾山城
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重国橋は歩行者・自転車専用だが橋から上流を覗くと下には川幅いっぱい岩床が埋め露岩部上に2ー3条の溝が流れ込み落ち込んで連続する小滝を形成しており「姫滝」の名がある。滝が落ち込む滝つぼは「おまん淵」と呼ばれている。
        野間川の姫滝
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”滝壺”には武士が誤って帯刀を淵に落とし、それを探そうと飛込んだ娘「おまん」が命を落としたという。また野間川が加古川に流れ出る県道17号「板波」交差点北に石上神社が鎮まり、此処に県無形民俗文化財「なまずおさえ神事」がある。
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天文11年(1542)現在の地に神社を遷す際:神殿に奉納されていた白鞘の宝剣が神社から盗まれた宝刀を滝壺から引き上げ、神殿に奉納しようとした瞬間、宝刀が大ナマズに変わったことから神罰を恐れて宝剣を探す所作をするようになったという神事の舞台が姫滝だとされる。
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姫滝は昭和26年播磨新聞社が当時の多可郡(西脇市も当時は多可郡)の景勝地10か所を選定し西脇市発足記念だったか?多可八景として発表されたが此の数年以前にも多可八景は発表されており地方紙(多可郡誌だったか?)に載っている!。
       鳴尾山城主郭の愛宕社
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現:西脇市と多可郡内数ヶ所について過去に記したもの含め国立図書館にさえ新聞記事は資料保存なく?確認とれなかった…が、地元民でもないのに…的クレームがあり過去の記事を削除し関わりを絶った…両記載に多くは重複する記事の景勝地
        野村構居(野村城)
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姫滝の伝承だが…野間川に落込む目の前の丘陵上には鳴尾山”なきやま”城(啼山 3等:236m)がある。赤松家一族旧臣:在田氏の被官上原氏の野村構居は、赤松家新興勢力の別所氏の東播磨・北播磨への進出に永禄2年(1558)落城。
        幅狭い稜上に築かれる野間山城の石垣
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野村構居の詰め城鳴尾山城も天正3年(1575)在田氏本拠の野間山城を攻める別所重棟・黒井城の荻野直正らの連合軍により短期間に落城。鳴尾山落城秘話には城攻めに鳴尾山城の幼い姫君が”鳴きながら遁れた…との”なきやま”伝承が残る。
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小さな落差の小滝と鳴尾山城・逃れきれず悲観した姫や乳母らが”滝の淵”に身を投じた…と考えれば伝承の真実性はあがる…が、またまた:お叱りを受けることになるのかな…情報が多いとあらぬクレームのもと!なのでこのへんで…

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