円通寺 Ⅳ 円通寺境内:御油城…等 丹波市

円通寺は徳川時代には度々寺領を削られたが江戸幕府から朱印地・朱印状が与えられ触頭(ふれがしら:幕府や藩寺社奉行の下で各宗派ごとに任命され地域内の寺院を統制する特定寺院)の任に当たった。現在の本堂・庫裏は天保11年(1840)焼失し
      円通寺背後の丘陵から円通寺砦:尾根続きに愛宕社(御油砦?)や井中城へ繫がる
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再建されたもの…だが江戸時代以降の寺暦は省略するが本堂・庫裏ともに木造建築では当地最大規模を誇る。宮大工の棟梁:中井正清は中井一党初代で江戸幕府の京都大工頭の地位にあった名工・名門。4代目言次(君音)定忠(日吉神社他)が寺社彫刻師としての中井一党初代で、2代目は丈五郎正忠だが3代目中井権次正貞
    木鼻に設えられた獅子の足や象鼻は中井一党のセオリー通り…?
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(安政2年没)が”権次”を襲名し「柏原 中井一統」を称した。円通寺本堂軒梁の龍・獅子等の像は中井権次(橘)正貞による…が円通寺関連・中井一党関連Webに詳細紹介されており割愛。御油について更に;荏胡麻の発祥地で胡麻油や魚油等の
        本堂木鼻の麒麟や獅子は馬蹄形
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燈油独占的販売権を持った油祖:離宮八幡宮(油の宮)大山崎油座)の許可なしに油の製造・販売出来ない程に権威があり、油神人(じにん)が組織化され販売・一方では武士団を組織して京都の権力者の要請でしばしば派兵したとも。
       円通寺のイトザクラ(シダレザクラ市指定)
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御油田に近い隣接村?でも燈明田(公田)耕作者が国の課役免除する訴訟もあった!?…と御油には特別な要素もあるようです。神野神社の近く北御油の堀ノ内には今村信保の御油城があった。薬師堂が建ち鎌倉幕府の検察司:今村平太夫が目を患って
        円通寺のタブノキ(市指定!) 
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信仰していた薬師堂に籠もり祈願し治ったことから”お薬師さん”を御守りする薬師庵(今村庵)を建てた…字名がある。加古川の氾濫に備え堂の周囲に濠や堤防も築かれていたと思えるが、天正の兵乱に薬師堂は明智光秀に焼かれ薬師像は村人の手で現在の地にお祀りされたといわれるが、丹波志に云う御油城(居館・構居?)は
     今も円通寺の湿田に”ミズバショウ”は見られるのかな…?
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地方誌に城はなかった…? 当然!?遺跡分布図等にも記載はないが、薬師堂の構居・如何にも物見砦の稲荷社跡は円通寺背後の丘陵尾根の一端から向かう広い平坦地形。円通寺から御油へ向かう山裾を辿ると谷間の奥には湿田があって随分以前の事だが、移植された水芭蕉が季節には公開され円通寺境内からも遊歩道が通じていたが、今も引水…整備等されているかは未確認…

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