円通寺 Ⅴ 円通寺砦・井中城・沼城等 丹波市

円通寺砦からは稜線通しに通じる井中城へは円通寺を真下に望む丘陵からも通じている。更に尾根続きの現:青垣町町境には沼城・途中にも白童城?があるのだが:城趾碑まで立つ其所が城趾とも奥津城であったとも思えず…。
    香良西砦:主郭南斜面の切岸
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沼城主:芦田光遠・山垣城主:足立基則等は、黒井城主だった荻野秋清を殺害したが、翌年:弘治元年(1555)頭首となった直正に対する妬みや遺恨を募らせる赤井・荻野双方の不満分子らが連合:香良谷に集結して現:頭首荻野直正に付く荻野氏・赤井氏らと激突する丹波戦国史でも最も激烈を極めた香良合戦が勃発する。
         円通寺砦
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芦田光遠・足立基則からの要請を受け「細川氏綱・三好長慶と内藤宗勝(松永長頼)」が支援。一方「足利義輝・細川晴元」の支援を受けた赤井時家・荻野直正ら赤井一族による代理戦争とされる…!!?が、三好・内藤勢にとって丹波を・赤井氏荻野氏を討つ千載一遇の絶好機だったが弘治元年・軍勢を差し向ける余裕があったか?
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また奇襲・夜襲であっても香良城が主戦場なら簡単に短期決着は疑問?。戦場となった香良谷は御油や”沼”の名が示す往時は沼地・沼田が拡がっていた一帯・更に加古川を挟んだ東側。一城とはいえ長々延びる丘陵尾根上に連郭ではなく
    芦田氏菩提寺の明勝寺
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点々と何ヶ所かに点在して曲輪を置く沼城は東方の香良谷方面監視の付城群…!。沼城主:芦田光遠の菩提寺が明勝寺。其の向いの丘陵部位置するのが白童城だが、城域最上部に遺構はなく城の定義から外れるかも知れないが香良合戦時の陣城・将兵の駐屯地なら、一気に討ち出る位置にはある。
     井中城:短いが10数条の畝状竪堀群は壮観
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井中城も最高所の主郭曲輪は広くもないが二重堀切・竪堀・丹波城郭に希有な10数条の畝状竪堀群が東面にある。円通寺砦も低位置にある砦規模だが切岸加工の曲輪段・二重堀切・竪堀・南裾に池濠?、此処も発掘調査されれば放射状に数条の竪堀がありそう?。円通寺砦~沼城に掛けての城砦群は”香良合戦”に関連する
       常楽砦:北斜面に曲輪段と堀切1本
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足立氏・芦田氏方に陣城というより、それ前!?(年代も合戦場等詳細不詳だが新庄・常楽の戦い(丹波戦国史・丹波氷上郡志も不詳!?)があった。此の戦いこそ細川二流の代理戦争であったか?。加古川流域の西方:円通寺域?を境に足立氏・芦田氏が…
       下新庄城(内山砦) (仮称)の尾根続きにも東新庄城・西新庄城(仮称)がある…
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南方には赤井氏本願地や”新庄・常楽”は荻野氏・本庄氏の勢力下。遺跡分布地図に銘記されている常楽近くの丸山砦下新庄城東新庄城・西新庄城や先に発見の常楽砦(仮称)は北の円通寺側を雛壇状曲輪から望む荻野氏側の陣城か?。円通寺界隈同様に葛野川沿いにも埋れた城砦群はある。
  円通寺 Ⅰ 紫陽花     円通寺 Ⅱ あおもみじ
  円通寺 Ⅲ 境内(1)と御油  円通寺 Ⅳ 円通寺境内:御油城…等



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