牛河内坂周辺の城砦群 Ⅱ 牛河内南城・北城 丹波市

黒井城の支城として牛河内坂の西南丘陵先端部には長見城があり、牛河内坂の東側低丘陵尾根を隔て長見城と黒井城の中程に山田城があり赤井幸家が黒井城代として光秀に対戦していた頃は、山田庄八郎が山田城・長見城・牛河内城の
   牛河内最奥の浄光寺:左は由良坂へ・右手の谷詰めを牛河内北城へ・正面奥に三日月山
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三砦を預かった守将だったか?。黒井城を望める三城砦の何れもが落城後は光秀軍の陣城・付城に転用されたものと思われる。牛河内集落最奥部に浄光寺が在る。集落へ向かう入口が春日町新才に新才城がある。
       新才城:東先端山麓近くまで7ー8段?の帯曲輪(明智の付城)
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黒井川沿いの東正面に千丈寺砦と黒井城へ約2.5kmを望む光秀軍の向城で比高40m程の東斜面に6段ほど帯曲輪を廻す黒井合戦最期の築造か?。新才城主郭(4等三角点134m)からの稜線尾根筋を辿る途中鞍部で愛宕社からの稜線上には、監視曲輪跡?らしい平場を数ヶ所見掛ける!?。
       牛河内南城:主郭北の曲輪段と堀切状・西面の切岸
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長見集落真北の稜上に長い平坦地が続き、北面に二段程の曲輪?からは牛河内坂集落中央部を眼下に見る。長見城からの枝尾根から主尾根筋に着く鞍部の直ぐ東側に切岸を立てる牛河内南城(仮称)240mがある。手前南側に長い竪堀?状が落ち其の東先に土橋付堀切?、尾根幅3mと広いので左右に落ちる浅い竪堀か?。
    長見城への分岐尾根から:牛河内南城主郭西尾根側の段曲輪と堀切!?
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北に3段曲輪付き単郭の主曲輪。北東斜面の曲輪からも牛河内集落を眺望できるので由良坂を越え牛河内坂を春日町に入る通行監視所か?。浄光寺前の牛河内坂を挟む北東の尾根筋には牛河内北城(仮称)390mがある。位置的にも由良坂・牛河内坂の通行監視所と考えたが由良坂往来の監視は不向き。
        牛河内北城:主郭北・西の切岸
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浄光寺側尾根(西面)の切岸・北尾根筋に片堀切(西に短いが掘込みあり堀切か?)、東斜面には畝状4本ばかりの竪堀・主曲輪から南東へ延び出す尾根筋の数段の小曲輪群が千丈寺砦・黒井城側に並ぶ。小曲輪群から東の谷に下り春日町山田へ、
      牛河内北城:主郭北の尾根続きに一条の堀切(急斜だが一方は短い) 
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また尾根筋南下方へは長く広い平坦地形の緩衝帯から牛河内坂を新才分岐付近へ降りるか!?。新才城とともに春日町山田や古河へ討って出る将兵の駐屯地か?。長見城から牛河内南城(仮称)に寄り、西への稜線を辿れば霧山の裾:天王坂から
    牛河内北城:主郭南東端の小曲輪群
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亀の座(4等3角点:長見318m・五郎兵衛の名称が気になるが…)から由良坂を五大山・愛宕山・鷹取山・五台山に至り香良合戦場も香良・伊佐口へと、日本一低い「谷中分水界」を縫って分水界の径ルート内「五台の径」が通じる。
      牛河内北城:主郭南東端小曲輪群上部から千丈寺砦と黒井城を望む
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