遺芳殿 篠山市

大正ロマン館の南角を東へとり黒岡川を渡り「ささやま荘・まけきらい稲荷」標識を見て直進200m程で同様の表示を見て右折すると、最近訪問回数は減ったが年数回訪れる”メイプルカフェ”近くの分岐点を東方の丘陵に向かうと王地山公園の丘陵北西麓に陸軍墓地がある。
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市立養護学校・わかたけ福祉会入口側に遺族会館が建ち狭い車道側には”忠霊参道”の石碑が立つ。50m程先で住宅地を分け右接すると直ぐ…林の中に石標柱を…見ると「陸軍用地」の文字…直ぐ目立つ”忠魂碑”は川村景明<1850-1926>(華族で官位:元帥陸軍大将従一位大勲位功一級子爵)の筆になる。
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此処に駐車場・急斜な石段上に納骨堂の様な忠霊殿が建つ。背後に拡がる林の中の平坦地には石柱の先頭が尖った軍人墓が整然と立ち並ぶ。昭和18年(1943)忠霊殿として創建され・元神戸連隊区八市三郡の戦没英霊32000余柱が祀られる。
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戦後:遺芳殿と改称し毎年5月9日慰霊祭が行なわれていた。下の広場の立派な建物は昭和61年(1986)完成した遺族会館で、館内には敗戦のとき・当時の駐屯地宮崎県で、軍の解隊とともに焼却されたといわれていた元篠山歩兵第70連隊軍旗の
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竿頭と旗地の一部分と軍旗日誌が保管されている。篠山歩兵第70連隊は昭和12年(1937)4月、当時の満州(中国東北部)に派兵され大陸を転戦の後:昭和20年4月に本土防衛の主力部隊として宮崎県に移ったが敗戦を迎え同8月29日に軍旗の奉焼式が
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行われ部隊は解散。石川粂吉連隊長は軍旗を焼却するに忍びず極秘裡に保管・戦後10余年を経て世相も変わった昭和36年(1956)隊の所在地であった篠山へ持ち帰られたもの…。遺芳殿前の林道は旧ささやま荘・まけきらい稲荷に繫がる。
(現地:篠山五十三次案内板 Wikipedia 篠山市Webサイトを参照)


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