中佐治逍遙 丹波市青垣町
「丹波志」によると藩政時代:氷上郡の西半分(青垣町東芦田・田井縄を除く西芦田・大和田・佐治・山垣等)が正保(1644-48)の頃は未だ前期柏原藩織田家の所領だったが三代で後嗣なく改易となった後:約50年の天領期を経て後期織田家移封後の
平岩家(中佐治の平岩氏代官所)文化-天保(1804-1844)の頃には約100ヶ村を約30程の領主が数ヶ村や一ヶ村を複数領主が領し、佐治村(約682石)を柏原藩織田家と牧氏が入組、小倉村(約320石)は牧氏が、市原・中佐治は能勢氏・平岩氏・市岡氏の入組で管轄していたようです。
R427号(中央)・旧山陰道(出雲道)は山際の集落内…中佐治・岡見等も貞享8年(1691)市岡氏が氷上郡に300石加増、平岩氏も元禄11年(1698)上総・相模の他氷上郡にも500石加増で此処を領し治めていた。中佐治の平岩家は市岡代官所(中佐治代官屋敷)と同時期(江戸時代中期ー幕末)に懸け、
大歳神社御神燈と六地蔵:向いに平岩家中佐治・岡見・平野有河内を治めた旗本:平岩氏の領地。平岩氏が代官所としていた場所で、内庭には罪人を座らせた”裁きの石”や外塀には裁きを受けるための”罪人専用の潜り門(入口)”があるのだが…個人居住宅地なので画像は遠景のみ。
燈籠左に烏帽子山城・最高所万歳山・手前麓低山が山垣城/右端に中佐治城があった平岩家への通りには六地蔵と自然石の大きな笠石を乗せる”大歳神社の御神燈”が立つ。建立は江戸時代後期:天保5年(1834)なので参道改修等で此処に移設されたものか?。R427号・遠阪川を挟む東方の丘陵麓に大歳神社の鳥居が見える。
出雲道(旧山陰道)の古道井戸平岩家への地区道は集落東端で大きく折れR427号に出るが民家前の分岐点石垣前には旅人の水飲場があり、屋号”てんや”が此処で「ところてん」を作り冷やしていたと…云う古道井戸と”卍 南無阿弥陀佛”石碑が立つ遠阪峠への延喜式出雲(山陰)道。
中佐治:大歳神社出雲に向かう山陰道が通じる中佐治:大歳神社祭神は大歳神(須佐之男命 の子)で”熊野大神”は五穀豊穣の神:大歳神社想起は不知だが…「熊野大神」石碑が立ち:出雲(松江市)の出雲大社・熊野大神(祭神:須佐之男命)は共に出雲国の一之宮。
長松寺(東南の直近に中佐治城があったが…)”御霊大神”石標も立ち:全国足立姓の元祖・足立遠政の本拠山垣城方向?に向かう遙拝所。直ぐ隣には長松寺(曹洞宗:円通寺末)がある。本尊は”乳薬師”と云い・境内の井戸の水を飲むと母乳の出が良くなると伝えられるが水は乳白色をしており
「熊野神社裸まつり」で氏子が水垢離する稲荷神社前から遠阪城を望む”乳井戸”ともよばれていたが…信じるものこそ救われる…か?。直ぐ東方近くに中佐治城があったが”北近畿豊岡自動車道”建設工事により、中佐治城と古墳群一部は発掘調査されたが城域内の古墳群ともに壊滅してしまったのかも…。
平岩家(中佐治の平岩氏代官所)文化-天保(1804-1844)の頃には約100ヶ村を約30程の領主が数ヶ村や一ヶ村を複数領主が領し、佐治村(約682石)を柏原藩織田家と牧氏が入組、小倉村(約320石)は牧氏が、市原・中佐治は能勢氏・平岩氏・市岡氏の入組で管轄していたようです。
R427号(中央)・旧山陰道(出雲道)は山際の集落内…中佐治・岡見等も貞享8年(1691)市岡氏が氷上郡に300石加増、平岩氏も元禄11年(1698)上総・相模の他氷上郡にも500石加増で此処を領し治めていた。中佐治の平岩家は市岡代官所(中佐治代官屋敷)と同時期(江戸時代中期ー幕末)に懸け、
大歳神社御神燈と六地蔵:向いに平岩家中佐治・岡見・平野有河内を治めた旗本:平岩氏の領地。平岩氏が代官所としていた場所で、内庭には罪人を座らせた”裁きの石”や外塀には裁きを受けるための”罪人専用の潜り門(入口)”があるのだが…個人居住宅地なので画像は遠景のみ。
燈籠左に烏帽子山城・最高所万歳山・手前麓低山が山垣城/右端に中佐治城があった平岩家への通りには六地蔵と自然石の大きな笠石を乗せる”大歳神社の御神燈”が立つ。建立は江戸時代後期:天保5年(1834)なので参道改修等で此処に移設されたものか?。R427号・遠阪川を挟む東方の丘陵麓に大歳神社の鳥居が見える。
出雲道(旧山陰道)の古道井戸平岩家への地区道は集落東端で大きく折れR427号に出るが民家前の分岐点石垣前には旅人の水飲場があり、屋号”てんや”が此処で「ところてん」を作り冷やしていたと…云う古道井戸と”卍 南無阿弥陀佛”石碑が立つ遠阪峠への延喜式出雲(山陰)道。
中佐治:大歳神社出雲に向かう山陰道が通じる中佐治:大歳神社祭神は大歳神(須佐之男命 の子)で”熊野大神”は五穀豊穣の神:大歳神社想起は不知だが…「熊野大神」石碑が立ち:出雲(松江市)の出雲大社・熊野大神(祭神:須佐之男命)は共に出雲国の一之宮。
長松寺(東南の直近に中佐治城があったが…)”御霊大神”石標も立ち:全国足立姓の元祖・足立遠政の本拠山垣城方向?に向かう遙拝所。直ぐ隣には長松寺(曹洞宗:円通寺末)がある。本尊は”乳薬師”と云い・境内の井戸の水を飲むと母乳の出が良くなると伝えられるが水は乳白色をしており
「熊野神社裸まつり」で氏子が水垢離する稲荷神社前から遠阪城を望む”乳井戸”ともよばれていたが…信じるものこそ救われる…か?。直ぐ東方近くに中佐治城があったが”北近畿豊岡自動車道”建設工事により、中佐治城と古墳群一部は発掘調査されたが城域内の古墳群ともに壊滅してしまったのかも…。
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