市岡氏代官屋敷と平岩氏代官屋敷 丹波市

中佐治代官屋敷は10数年前ホームページとブログにUPしていた…が吉盛氏(神戸新聞総合出版センター版「但馬の殿様」著者)より中佐治には市岡氏代官所平岩氏代官所があるとのコメントをいただいていたが、一ヶ村を入組みで分領していた平岩代官所をUPしたので両代官所を一つに纏め補足しました。
       旧但馬街道に面した市岡代官所付近(休耕地・畑地の屋敷跡入口部)
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正保年間(1644-48)頃は前期柏原藩織田家の所領だったがが後嗣なく改易となって後約50年ばかりの天領期を経て、後期織田家移封後の文化-天保(1804-44)の頃には約100ヶ村を約30程の大名・旗本・諸々の領主等が数ヶ村や一ヶ村を複数で
       秋葉社参道左右に続く曲輪段!は廃畑跡か?・左一角に個人墓所?
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分領していた…が更に後期織田家9代:山城守信民の天保11年-安政元年(1840-54)頃には約170ヶ村・68,500石余り…を諸藩の領主が分領しており、佐治は柏原藩領と牧氏が入組、小倉村(約320石)を牧氏・佐治村(約682石)の杉谷・市原・中佐治・
        中佐治バス停からの平岩家(中佐治の平岩氏代官所)
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岡見・平野有河内は能勢氏・旗本の平岩氏(平岩七之助)・市岡氏(市岡佐太夫)の入組で分領支配していた。中佐治・岡見等を貞享8年(1691)市岡氏が300石加増され氷上郡を領有。平岩氏も元禄11年(1698)上総・相模の他氷上郡にも500石加増で此処を領し治めていた。中佐治の平岩代官所(平岩家)は市岡代官所(中佐治代官屋敷)と
       R427号沿いから大歳神社御神燈と平岩家
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同時期(江戸時代中期ー幕末)に懸け中佐治・岡見・平野有河内を旗本平岩氏が代官所としていた場所で、内庭には罪人を座らせた”裁きの石”や外塀には裁きを受けるための”罪人専用の潜り門(出入口)”がある…個人居住宅地で公開はされていない…が過去には地元「遠阪村探究会」により両代官屋敷の見学会が実施されていた様…。
       平岩家前~旧山陰道(出雲道・但馬街道)の古道井戸
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平岩家への通りには六地蔵と自然石の大きな笠石を乗せる”大歳神社の御神燈”が立つ。大歳神社祭神は大歳神(須佐之男命 の子):出雲(松江市)の出雲大社の熊野大神(祭神:須佐之男命)は共に出雲国の一之宮。平岩代官屋敷前の地区道は集落東端で大きく折れR427号に出る分岐の石垣前に井戸があり旅人の水飲場・
      子午線通過する「小倉」交差点と大箕山南尾根先端292m峰
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屋号は”てんや”(此処で”ところてん”を作り)冷やしていたと…云う古道井戸で、 ”卍 南無阿弥陀佛”石碑が立つ。子午線通過点(東経135度)モニュメントが立つ「小倉」交差点を右折して遠阪峠に向かうR427号沿い北方に約30-50m入った:大箕山南山裾を縫って通じる幅2m程(平岩代官所前は車道改修で広くなっているが…)の
        市岡氏代官屋敷:秋葉社参道前から旧山陰道(但馬街道)
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嘗ての一級国道?:延喜式山陰道(但馬道)。中佐治の市岡氏代官所・平岩氏代官所ともに、細分化された小領地なので諸家の直接管理よりは在地に帰農していた有力者(足立氏本拠の山垣城に近く両代官屋敷とも庶流!?含め足立氏一族)が官吏として代官を任命され務めていたものか。

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