岩尾城 / 和田城(岩尾古城) Ⅰ 丹波市

岩尾城に関連して蛇山伝説の猟奇悲話や古城主:谷頼衡夫妻供養の無縁五輪塔や、応地に残る年中行事「蛇ない」・信州の双体道祖神城下スポット…等20数年来の岩尾城関連をホームページやブログをUPしているので重複する箇所は多分にあり長文になるが、一編完結式内容としているのでご容赦・読み飛ばしてください。
        北播磨境界(小野尻峠)側から岩尾城・左端尾根に若林砦(仮称)
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蛇山岩尾城城史蛇山城主として室町時代中期の至徳2年(1385)信濃国南和田より山南町西部の市場之庄に源頼綱が地頭として入部し、其の二代後の二谷(源)出羽守基綱から谷姓を名乗り文明2年(1470)「城ケ谷」山麓南東にある親緑寺附近に下屋敷を建て居館とした。基綱より4代:谷出羽守兵部介頼衛(よりひら)に子なく
     中世の古城部:土塁囲みの細長い曲輪(前後を堀切で遮断している)
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永正元年(1504)文武ともに優れた同郷の士:和田齋頼(ひとより)が頼衡を頼り寄食していたのを5代目として婿養子に迎えたが、永正10年(1513)日向守齋頼は家臣の讒言により養父を刺殺し和田姓を名乗って当主となり永正13年(1516)蛇山山頂に
         和田岩尾城(近世:総石垣の主郭部・天守)
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城郭を完成させます。永正15年(1518)には市場村を城下に移し和田村と名付け城下町を形成。天文17年(1548)斉頼は病死・後を継いだ子作右衛門尉師季(もろすえ)が最後の城主となっていた。天正3年(1575)明智光秀軍の激しい丹波攻略戦が始まると黒井城主:荻野直政に付き丹波防衛の第一線として岩尾城に立て籠るが
           西の丸から本丸・天守台への枡形虎口
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天正7年5年(1579)光秀の援軍として西丹波攻略を命じられた丹羽長秀等の攻撃を受けた鍋倉城(太田城)玉巻城岩屋城に次いで岩尾城主和田氏も討死して此処に滅亡します。豊臣秀吉の全国制覇が進んだ天正14年(1586)3月に近江木戸村:比叡山の法師で(木戸十乗坊前田玄以の武将!!)が3,750石を領して入部し
        西の丸南西角の算木積み+打込はぎ…石段登城ルートは枡形虎口
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岩尾城主(佐野下総守栄有を名乗る)となって 統治10年・佐野氏の居城として主郭部を近世城郭様式に改修したが北部分・西部分にも中世戦国期の和田氏や一時入った光秀軍?の中世”土の城”・佐野氏の近世城郭”石の城”の城郭様式が混在することでも城郭史上貴重な山城遺構が残る城。
       野面積みだが丁寧な「打込はぎ」技法が見られる…
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文禄4年(1595)栄有が国替で近江木戸へ転封後は秀吉五奉行の一前田玄以の持城となるが城主を置かず、秀吉命により慶長元年(1596)廃城。現在城址には土塁や堀切のほか主郭部には石垣が築かれ、小振りながら総石垣の天守台も遺っている。
          岩尾城大手登城口は新縁寺から
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登城口和田大橋正面右手の山端城(”釼光稲荷大明神”)からの尾根縦走・和田小学校構内を抜けるか親縁寺からの大手門曲輪・郵便局・駐在所裏手-達磨岩から大手門曲輪・坂尻トンネル開通後はトンネル上部の応地坂(廃道)利用者はいないと思うが、岩尾古城から蛇山山頂の大土塁(物見台)に至る搦め手?コースもある。
       郵便局・駐在所裏手から大手門曲輪直下の達磨岩へ
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立地蛇山最高位置の”古城の土塁見晴台”や新城の”天守台”からの眺望は、北播磨の多可町中区から小野尻峠を越える県道86号を正面に・同:加美区から山越えで西谷川沿いに・篠ヶ峰や岩屋山(石龕寺背山の岩屋山に対して西の岩屋山とも)を
            南曲輪から本丸天守台を望む
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五ヶ野川沿いに・赤井氏発祥地:白山(後屋城)弘浪山(高山寺城)を越えれば坂尻川沿い・加古川沿いには山南町応地からの応地坂(現在は牧山トンネルで坂尻集落に抜ける)が、此れ等の谷川が山本・若林で合流し牧山川となり和田城下を抜け加古川に流れ出る。
       下知殿丸北端の堀切:正面上方に本丸・左捲道に水を湛える井戸・井戸曲輪
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北に氷上盆地・南には播州(北播磨の西脇市方面・加古川沿い)を望む絶好の境界監視位置だけに、落城後に明智勢が入っての古城部や新城の主郭部・西面の城域にも築城・改修の手が加わっている可能性もあると思えます。
     若林下山ルートより(明智勢の改修か!)竪土塁・竪堀:落口は封鎖土塁!?
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岩尾城 / 和田城(岩尾古城)から人間地獄-若林砦(仮称) Ⅱに続く
  『参考資料:山南町誌・山南町文化財のすがた・兵庫の城紀行(上)…』

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