瀬戸地蔵 篠山市今田町

丹波市山南町阿草からの県道292号が篠山市味間からの西脇・篠山線(県道292号・県道36号)と合流し、黒石ダムで県道36号(西脇市方面)分け県道141号(黒石三田線)となり東条川沿いに市原「本荘」交差点を直進:市原城西方寺のサザンカを横目に・正面には木津城と(三木城包囲の秀吉が援軍や物資輸送阻止の)平木土塁遺構が遺る
        瀬戸地蔵から木津城・平木土塁遺構(右)の遺る丘陵…
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丘陵尾根を望む。県道沿い「瀬戸地蔵」駐車場前から真っ直ぐ延びる地区道が木津城(篠山市木津)と平木土塁遺構(加東市平木)間の峠に向かう。”せど”とは裏口・勝手口の意味、また瀬戸には”狭い”の意味がある…駐車場の奥:川が足元下方で淵となっている狭い断崖沿い通路の先に石造浮彫の舟形「瀬戸地蔵尊立像」があり
      木津城側の鉄塔巡視路から峠道を挟み凡そ350m程の長い「土塁」が延びる
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半円形に浮彫りされた像は篠山市の指定文化財。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩は衣を両肩に纏い、衣文(しわ)を腹部から脚部にかけて六筋を表していて室町時代の作と考えられている。清水寺に居られた行基菩薩(飛鳥時代668-奈良時代ー749)が或る日:都へ行こうと清水寺の麓・今田町木津(…から今田町小野原-古市-篠山<京街道>を亀岡・京都へ通じる)へ降りてくると
           瀬戸地蔵(磨崖仏)   
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数人の村人達が東条川(黒石川)の川岸に立ちて経を唱えている。今は緩やかな峠越えの道だが、当時の東条川(黒石川)沿いは高い絶壁が川岸に迫り・下は深い渕となっているところで、今も石仏前付近に当時の片鱗を見る。行基は何ごとかと村人に尋ねると「「絶壁の斜面を通る旅人たちが度々足を踏み外して死ぬ」また「この間は川上から死んだ赤ん坊が菰に包まれ投げ捨てられ
             木津居館から木津城を望む
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此処の渕へ流れ着いた…」…そして今日も「先日・亡くなった人のために弔っているのです」…行基「危険な処ですね…此の様な悲しいことのないように…」と・その絶壁に岩面にお地蔵さんを彫り・交通安全と此処で亡くなった人達や子供の為に供養とお祀りをされた。今も瀬戸の地蔵として今なを花が供えられ祀られています

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