松若物語Ⅱ 松若丸 西宮市

松若物語Ⅰ「越水城と鷹尾城」から続く 京都へ進出するのを防ぎ・中国や播磨の勢力を抑える為、西国街道の要衝にあって要害の芦屋に城を構えるべく細川高国は攝津の国中で並ぶもののない大名に出世していた瓦林政頼は越水城(西宮市)を本城とし・支城の鷹尾城(芦屋城)の築城を命令する…。
             神呪寺と背後の甲山
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政頼は与力の地侍:鈴木与次郎を入れて守らせた。灘の細川澄元の地侍達は勢いに押され多くは浪人となって播磨や淡路に逃れ彷徨い阿波の国に下ったりしていたが、灘の地侍に河島兵庫助という人がいた。政頼の家来に友達がおり頼って降参を申し出て許され扶持を与えて大事にし鷹尾城の守備軍勢に加えられた。
              夙川堤から甲山遠望
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敵方の中心人物には政頼と同族の者もいたが、灘五郷の地侍達の抵抗には:不仲だった本庄(神戸市)と西宮の衆も加わり・鷹尾城を取り囲み築城当初より激しい戦火に見舞われるが…多勢に対し勇敢に戦い寄せ手の細川等を退去させた。永正8年(1511)7月淡路の細川尚春は灘の深江に陣を構え鷹尾城の武将:瓦林政頼を攻めるが、
              芦屋川の開森橋から鷹尾城山
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政頼も京都の細川高国に援軍を求めます。その援軍の京都勢とは芦屋河原(阪神間では打出浜合戦と共に代表的な古戦場)で対決し、この戦いも高国勢が勝ち尚春方200余の首を討ち取ったが、敗戦を知った澄元側の播磨:赤松義村勢が大軍を率いて鷹尾城に押し寄せ攻め立てられ・ついに政頼らは密かに城を捨て伊丹城から
        鷹尾城南端曲輪から望む芦屋市街地(発掘調査で一変している筈!?)
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さらに丹波波多野氏の八上城へ逃れ落城。河島兵庫助には松若丸という子がおり松若と越水城中で可愛いがられ、時には政頼と歌を詠む才能もあった。ところが鷹尾城の守りに着いた父は一向にはかばかしい働きがなく、いたずらに月日を送るばかり。そのうち「どうも敵に内通しているのではないか」
      横堀(左上方の城山TV塔や送電線鉄塔付近は発掘調査で消滅したかも…?)
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越水でも「兵庫助を早く処分せよ」と相談することとなった。松若丸は密かに此れを知り”父上に早く知らさねば…”と城を逃れ出て鷹尾城に急ぎます。城では「今朝早く越水より政頼の命令があり捕らえられ何処かへ連れて行かれた」と聞く。
           風吹岩からロックガーデンと鷹尾山(芦屋城)
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与力:鈴木与次郎に捕らえられ既に処刑された後でした。”はや父上は自害されたろう…”と逃げることを諦め父上のお供を…と父に殉じることを決意して政頼のもとに出頭した。政頼は不憫に思い「松若に何の罪もない 助けてやろう」と思うのですが自分一人で決めることも出来ず家来と相談し…
          瓦林城(日野神社)最北の堀跡?(拝殿横) 2003年頃
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「これほどの利口者を助けておいては将来が…きっと後悔することになるだろう」と助けることに反対し西宮の六湛寺(西宮市役所東・支消防局南隣)で自害させることに決まり「父に我 つかふ願いも三瀬川(三途の川の意) ともに越ゆべき 道のうれしさ」と辞世の歌を詠んだ。  (瓦林正頼記(別名:松若物語)

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