丹波人物史 細見綾子(俳人) 丹波市

俳人:細見綾子(1907-1997)出身:芦田小学校は青垣町旧4校が佐治小学校に統合され;廃校は現:芦田集学校としてIT普及・地域活性化推進事業…等活動拠点となっている。柏原高等女学校を経て昭和2年日本女子大学を卒業と東大医学部助手:太田氏と結婚するが、昭和4年:夫と実母の病没し帰郷後・肋膜炎の闘病生活を送るなか
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佐治の医師:田村菁斎の勧めにより俳句を初め・松瀬青々主宰「倦鳥」に入会「来てみれば ほほけらして猫柳/野の花に まじるさびしき 吾亦紅」を投句し初入選した。澤木欣一(俳人)らが丹波を訪れた際は箕面の滝を案内したり、上京のときは浅草寺を案内されたりしていた。昭和18年:欣一が出征の折は見送り昭和20年:
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復員の帰途には丹波に寄る。昭和22年に欣一と結婚し東京(金沢市にも居住)に移る。句集に「桃は八重(昭和17年)」・「冬薔薇(昭和27年)」・「雉子(昭和31年)」・「技藝天(昭和49年)芸術選奨受賞に際し:概念に囚われない・しかも情感豊かな作風の中に
      北の丘陵南麓に芦田小学校・丘陵部西(左)端に道の駅・青垣IC・佐治宿
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的確な対象把握や自在さを示した作品集と評され、独自の俳句世界を拓いた」・「曼荼羅(昭和53年)では翌年:蛇笏賞(俳句界の最高権威ある賞を受賞)」・「俳句の表情(昭和57年)」…等。随筆集に「私の歳時記(昭和34年)」・「花の色(昭和53年)」等があり私の歳時記ではNHK等ラジオで放送された。
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普段着で ふだんの心 桃の花」母の手織りの佐治木綿(丹波布)を愛用していた。句碑は:母校の柏原高等女学校跡(大手開館)の(現:たんば黎明館雉子鳴けり 少年の朝 少女の朝」・生誕地に近い東芦田の高座神社に「でで虫が 桑で吹かるる秋の風」が建つ。三重県伊賀上野 芭蕉公園:「早稲刈に そばへが通り虹が出し」…他
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丹波市青垣町芦田小学校の校歌(昭和40年)作詞♪春は霞の青垣山xx…♪がある。 …私達を取り巻いている青垣なす山々・いい山々ですね・この山に春が来れば霞がかかります。皆さんはこの山々に霞がかかるごとく夢をもって欲しいですね…細見綾子”:平成9年9月埼玉県日高市の旭が丘病院にて永眠(90歳)
年譜等参照:「俳句」平成9年11月号(角川書店)山田春生編/丹波市俳人 細見綾子生家入館パンフ

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