大山城(太尾山城) Ⅰ 神崎郡神河町

「兵庫県の中世城館・荘園遺跡(昭和57年県教育委員会)版の城史解説に”大尾(おおお)山城主は大尾兵庫頭興次?で赤松麾下・天正(1573-92)の頃落城したという”とあり織田信長命に羽柴秀吉軍による「播磨攻略」の際のこととされる…が城史に補足?なく「大尾」の姓は非常に希有な姓!。太尾氏では…?。
         大山旧小学校校舎跡地から見る大山城
IMG_2853.JPG
出自の文献自体「播磨鑑」には城主:太尾兵庫頭與次で天正の頃落城とある。「赤松家播備作城記」には後藤氏とされる。後藤氏勢力地域と思える姫路市(神南区)豊富町太尾には太尾城があり、城山麓に”太尾城主一族を祀る太尾祖霊社(太尾神社)”がある。太尾は姫路市豊富町が発祥の地ト云う…
         太尾城主一族を祀る祖霊社
HHhime0351.jpg
築城主は赤松氏麾下の太尾兵庫頭輿次で神崎郡神河町の大山城も大尾?”太尾氏一族が守将として在城したものか…?。太尾城は大歳神社・太尾キャンプ場への案内板付近に”銀の馬車道”の幟旗を見掛ける但馬街道筋にある。また大山城の”…城館・荘園遺跡”記載内容からか登路の多くがWebサイトにも
      大山城趾ではなく反対位置の大山旧小学校側に向い立つ?城趾案内
IMG_2848.JPG
「大山小学校(廃校)跡」を起点に北面から取付かれているようです…。また大山城は国道を挟む”大山旧小学校前バス停”から仰ぎ見る丘陵山頂に位置して、猪篠川に落込む激急斜面・登路を探すに難渋するが「大山城跡」案内板は大山城とは反対の
          大山城主郭から北方(生野峠・真弓峠)を望む
IMG_2864.JPG
旧大山小学校側を向いて立てられている!?。猪篠川源流は県境の生野峠を播磨側に越えた処から始まる。約1.5km下流の猪篠集落から白岩山を目指した事があるが、大山城主郭から望んだ生野峠の手前に見える丘陵の高みが白岩山と其の奥に位置する県境の高畑山か?。
        大山城主郭から南方(但馬街道:鶴居・市川方面)を望む
IMG_2865.JPG
大山城へは近年:南側から案内板・固定ロープも張られたダイレクト新ルートが整備されている。早速新ルートの大山城へと神崎郡神河町R312号「粟賀」交差点から北上して道の駅「銀の馬車道・神河」に向かう。国道と平行する一筋東側(銀の馬車道・モニュメントがある)の道を北進し、作業林道を登山口に着いたが、
          西の大空堀から段曲輪群を副郭?へ
IMG_2859.JPG
駐車スペース直ぐ目前の川は運悪く・前日まで降り続いた雨で水量を増し・木橋もなく水流も早く・渡渉・飛び石伝いも難しいので諦めR312号に戻り・北上して大山旧小学校グラウンド前の駐車場に入った。旧大山小学校前・バス停からR312号を北に・猪篠川に架かる最初の橋を渡り道なりに
            副郭・主郭間の大堀切
IMG_2866.JPG
先方の民家前まで進むと山側に猪避フエンスがあり二分する荒れて狭い作業林道が奥に延びている。比較的広く明るく感じる右の道が枝尾根先端に繫がる様だが、左手に長く延びる林道から林業作業道や獣道を追って標高487m頂の大山城(太尾山城:神崎郡神河町杉)を目指す。
        南尾根筋から堀切を主郭に…
IMG_2868.JPG
林道入口近く民家の主人も山城の存在は御存知の様だったが登ったことはない…と云う。比較的藪漕ぎを強いられる季節前で薄い踏跡・獣道も伝えるが比高260m程とはいえ激急斜面が続く直登は山慣れていてもチョッと厳しい。大山城(太尾山城) Ⅱ(縄張り・赤松氏VS山名氏の大山城周辺の合戦等)

この記事へのコメント