谷山城Ⅱ 篠山市
谷山城は再訪した2011年12月にHPとブログをUPして以来10数年ぶり…薄れる記憶を辿りながら再々の訪城です。篠山市役所・篠山城の東馬出と東濠間の県道49号を南へ走り抜けるとR372号に合流する東側に四季山城・其の手前西方に鉢を伏せた様な丸い極小の丘陵:小丸山砦がある。
谷山城段曲輪群北尾根先端付近…篠山盆地の篠山川に沿う南側平野部の西はR176号・丹南篠山口IC付近から東の八上城下までの間でも南北400m程に狭まる一帯。落城間近の八上城を下りた波多野一族の婦女子・なかに秀治の遺児:甚蔵を抱いた乳母や腰元・侍女達が、明智方の軍勢に追われながら逃れた道に「乙女塚・女畷(乳母畷)の碑」が立つ野中
小丸山砦から平林大膳館(中央柿木先の台地)と谷山城バス停付近:八上城下西詰めの小丸山砦:北東角の車道を西に入る直前道路を谷山の集落注:周辺に駐車スペースは殆どないが谷山公民館の奥…へ向かう。山城丘陵部を左手に山際最奥の祥雲山法福寺山門(石標柱)が谷山城登山口・稲荷神社に向かう参道入口左側の小さな溝谷に架かる(以前は二本の丸太を渡しただけ)…
平林大膳館から小丸山砦今は鉄製の簡易橋を渡り、そこから薄くなる踏跡を追い山に入り・ひたすら南方に登れば長い竪堀状を詰め主郭に達するが、直ぐ東隣の帰路に下った尾根筋北東寄り谷筋にも長く深い竪堀状をみる…。登り初めて直ぐ左(北方)斜面に竪堀を見て移動すると隣・其の隣…にと!四条の畝状竪堀…!!主尾根?筋の曲輪群を越えてゆく。
登山口の法福寺山門石柱切岸高い3段程の曲輪東北角から北下方へ落ちる長い竪堀は最下麓の墓地跡まで延び・下部は貯水池で岩崎・谷山・野中を繋ぐ地区道。一部分は竪堀だったかも知れないが山道として・また木材搬出用に使用した木ズラシ(急斜面を利用して伐採木材を滑り落とす)溝は:ナースバシ(ナガズラシ)とも呼ばれるが…
法福寺からの北尾根先端部:北西斜面に4条の畝状竪堀…!!?此の長い竪堀?状落口が6ー7mと高い切岸の曲輪下にあるが、同位置の右角東斜面にも下草藪に埋れるなかに一条の竪堀が落ちる。顕著な2段曲輪から5段ほど小曲輪が続き・法福寺からの竪堀状登山道が合流すると曲輪幅も広くなり、堀切!から上の曲輪に入るところは虎口!?。
北尾根先端の高い切岸の曲輪の先に続く段曲輪群…此れより尾根筋に曲輪が幾重にも重なり続き・帯曲輪を廻す最高所の主郭に入る。曲輪群中程には土塁の残欠さえ見るが、自然地形で斜面に沿って削平は粗く平坦でもない…が東西斜面に1-2条:短い竪堀もある。
法福寺からの長い竪堀状コースを主尾根に乗ると出会う曲輪段谷山城からの帰路は最下段曲輪群?(同一地点の東に落ちる竪堀傍から北へ延びる長い:竪堀状木ズラシ溝の急斜面に沿い・疎林を縫って古墓跡から圃場貯水池東端に出た。藪を突いて東へ廻り込めば”平林大膳館”に出られるかも…と思うが昨今:個人用山や畑地は獣避けフエンスが廻り、作業小屋近辺にも開閉口がなく
帯曲輪を廻す谷山城の主郭スンナリとは出られない…というか入山口もなさそうなのだが…?。北西からの尾根を辿るが大手道?・搦手道が東山麓にある波多野氏家老:平林大膳秀衛の居館跡からの東尾根を主郭へ・また北山裾の貯水池側からの北尾根筋に通じていたのかも?。主郭に至る東尾根上にも細長い曲輪・竪堀。
東尾根:短い竪堀含む曲輪群…城域主体部は最高所を中心に帯曲輪を廻す主郭から北方へ延びる尾根筋に数多い曲輪を連ねる比較的大規模(北-西へ約200m以上・主郭から東へ細長い尾根上約150m以上)城郭ながら防備設備の土塁も低く・ごく浅く短い竪堀状・
幅狭い西尾根筋には竪堀と土橋付小堀切も…埋もれた浅い堀切状を見る程度だが、城域北末端部に見る4条程の畝状竪堀は最大の見所…!谷山城は「丹波志」に八上城波多野氏家老平林大膳秀衛の名が見え:岩崎城主柳柳原左近兵衛・八上城波多野氏の大老を勤めた飛の山城主:澁谷伯耆守氏秀等と八上城に拠ったと思われる。築城や城史についての詳細は不詳
北尾根・東尾根・西尾根にも見る竪堀
谷山城段曲輪群北尾根先端付近…篠山盆地の篠山川に沿う南側平野部の西はR176号・丹南篠山口IC付近から東の八上城下までの間でも南北400m程に狭まる一帯。落城間近の八上城を下りた波多野一族の婦女子・なかに秀治の遺児:甚蔵を抱いた乳母や腰元・侍女達が、明智方の軍勢に追われながら逃れた道に「乙女塚・女畷(乳母畷)の碑」が立つ野中
小丸山砦から平林大膳館(中央柿木先の台地)と谷山城バス停付近:八上城下西詰めの小丸山砦:北東角の車道を西に入る直前道路を谷山の集落注:周辺に駐車スペースは殆どないが谷山公民館の奥…へ向かう。山城丘陵部を左手に山際最奥の祥雲山法福寺山門(石標柱)が谷山城登山口・稲荷神社に向かう参道入口左側の小さな溝谷に架かる(以前は二本の丸太を渡しただけ)…
平林大膳館から小丸山砦今は鉄製の簡易橋を渡り、そこから薄くなる踏跡を追い山に入り・ひたすら南方に登れば長い竪堀状を詰め主郭に達するが、直ぐ東隣の帰路に下った尾根筋北東寄り谷筋にも長く深い竪堀状をみる…。登り初めて直ぐ左(北方)斜面に竪堀を見て移動すると隣・其の隣…にと!四条の畝状竪堀…!!主尾根?筋の曲輪群を越えてゆく。
登山口の法福寺山門石柱切岸高い3段程の曲輪東北角から北下方へ落ちる長い竪堀は最下麓の墓地跡まで延び・下部は貯水池で岩崎・谷山・野中を繋ぐ地区道。一部分は竪堀だったかも知れないが山道として・また木材搬出用に使用した木ズラシ(急斜面を利用して伐採木材を滑り落とす)溝は:ナースバシ(ナガズラシ)とも呼ばれるが…
法福寺からの北尾根先端部:北西斜面に4条の畝状竪堀…!!?此の長い竪堀?状落口が6ー7mと高い切岸の曲輪下にあるが、同位置の右角東斜面にも下草藪に埋れるなかに一条の竪堀が落ちる。顕著な2段曲輪から5段ほど小曲輪が続き・法福寺からの竪堀状登山道が合流すると曲輪幅も広くなり、堀切!から上の曲輪に入るところは虎口!?。
北尾根先端の高い切岸の曲輪の先に続く段曲輪群…此れより尾根筋に曲輪が幾重にも重なり続き・帯曲輪を廻す最高所の主郭に入る。曲輪群中程には土塁の残欠さえ見るが、自然地形で斜面に沿って削平は粗く平坦でもない…が東西斜面に1-2条:短い竪堀もある。
法福寺からの長い竪堀状コースを主尾根に乗ると出会う曲輪段谷山城からの帰路は最下段曲輪群?(同一地点の東に落ちる竪堀傍から北へ延びる長い:竪堀状木ズラシ溝の急斜面に沿い・疎林を縫って古墓跡から圃場貯水池東端に出た。藪を突いて東へ廻り込めば”平林大膳館”に出られるかも…と思うが昨今:個人用山や畑地は獣避けフエンスが廻り、作業小屋近辺にも開閉口がなく
帯曲輪を廻す谷山城の主郭スンナリとは出られない…というか入山口もなさそうなのだが…?。北西からの尾根を辿るが大手道?・搦手道が東山麓にある波多野氏家老:平林大膳秀衛の居館跡からの東尾根を主郭へ・また北山裾の貯水池側からの北尾根筋に通じていたのかも?。主郭に至る東尾根上にも細長い曲輪・竪堀。
東尾根:短い竪堀含む曲輪群…城域主体部は最高所を中心に帯曲輪を廻す主郭から北方へ延びる尾根筋に数多い曲輪を連ねる比較的大規模(北-西へ約200m以上・主郭から東へ細長い尾根上約150m以上)城郭ながら防備設備の土塁も低く・ごく浅く短い竪堀状・
幅狭い西尾根筋には竪堀と土橋付小堀切も…埋もれた浅い堀切状を見る程度だが、城域北末端部に見る4条程の畝状竪堀は最大の見所…!谷山城は「丹波志」に八上城波多野氏家老平林大膳秀衛の名が見え:岩崎城主柳柳原左近兵衛・八上城波多野氏の大老を勤めた飛の山城主:澁谷伯耆守氏秀等と八上城に拠ったと思われる。築城や城史についての詳細は不詳
北尾根・東尾根・西尾根にも見る竪堀
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