至山城 Ⅳ 氷上郡(丹波)の城か? 丹波市
野々口隆正古歌碑(至山城Ⅰ)跡には三ッ塚古跡(至山城Ⅱ)が移され、駐車場最奥部に至山登山口(至山城Ⅲに続き)がある。至山(273.6m:イタリヶ端)は播磨・丹波の国境尾根上にあり、其の山腹(6合目付近)に稲荷社跡石垣が残る。
イタリ山(3等 274m)山頂の”NHK山南テレビ中継所跡地”「至山城」主郭観応2年(1351)弟直義と争った観応の撹乱の時…足利尊氏が嫡男::義詮を石龕寺に留めて播磨・九州へと向う際:再興を期して必勝祈願の参拝をした至山出合稲荷社大明神で明治43年に日吉神社本殿背後の磐座の前に遷座され岩上神社と合祀された。
至山稲荷社跡石金山への縦走路は至山山頂を踏んで:至山城を引返し大谷城~田高・北山遺跡~田高坂…への尾根上に明確な曲輪の段差や堀切もなく自然地形に近く相当荒れているので、遺構の確認も難しい…が長い稜線上の数カ所に点在し、
”丹波コミュニティFM805”」放送設備(至山城:城域の西端)東播磨と丹波への玄関口を警備する街道監視・連絡の砦として機能していたのでしょうか?…此処では割愛するが…至山から西方の石金山へ向かう尾根筋最初に出合う二ヶ所の無線中継施設も砦遺構がありそうだが、
至山城の城域西端「丹波コミュニティFM805”」放送設備」直ぐ南上部の曲輪段鞍部からの上り始め山南町梶・黒田庄町田高境界尾根の大谷城(320m)の城域に!!石垣を見て驚くが自然地形の造形。二ヶ所の無線中継施設を下った鞍部が田高坂「寛政8年(1796)建立」の地蔵尊像”が立つ。
大谷城登り尾根筋に見る石垣のような自然の造形の驚く!至山(イタリが端)は丹波・播磨境界の要衝だが三大河の合流地点:播磨~丹波間での難所・要害地を避け:加古川(佐治川)を渡らず往来出来る間道が田高坂等の峠越え間道の通行監視の砦があったのかも!?。更に石金山までに天狗岩や
至山山頂主郭より南尾根筋の最大?段曲輪滝の方展望台からの南尾根(西脇市側)にも播磨・丹波いずれの?国境監視の砦なのか?曲輪(平坦地形)が何ヶ所かあるが詳細不知…至山城だけに留めます。至山山頂(3等 274m)には現在:更地になっているがフェンスに囲まれたNHK山南テレビ
至山城主曲輪に入る西面切岸と上土塁(NHK中継施設造成によるものか?…)中継所があり、北一段下は鉄塔跡だが曲輪があったと思われる。主曲輪西の上土塁状から主郭切岸沿いの帯曲輪が此の鉄塔跡の下部にまで回り込んで延びてきている!。石金山縦走路に引返す西尾根100m程下部には「旧ツーカーホン関西:
旧画像:主郭西正面から北曲輪(鉄塔跡)の西北角まで帯曲輪が捲く!?現在は丹波コミュニティFM”805”たんば」のラジオ放送設備が建つ。至山城は此の「FM805…」施設から至山山頂北の一曲輪・南枝尾根側直ぐ下3-40mに2-3段・更に50m程下部の尾根筋にも広い3-4段の曲輪がある…等:全城域に曲輪(平坦地形)を
三ヶ村井堰:顕彰碑小公園並べるが…堀切?・竪堀・土塁等を見ない?。後は急斜面を黒田庄町船町の上谷の集合墓地と三ヶ村井堰(旧加古川最上流部:永徳3年:1383・南北朝期潅漑目的に許可を得て築かれたが:現在は五ヶ村の黒田庄西部井堰)顕彰碑の間に降立つ。
イタリ山(3等 274m)山頂の”NHK山南テレビ中継所跡地”「至山城」主郭観応2年(1351)弟直義と争った観応の撹乱の時…足利尊氏が嫡男::義詮を石龕寺に留めて播磨・九州へと向う際:再興を期して必勝祈願の参拝をした至山出合稲荷社大明神で明治43年に日吉神社本殿背後の磐座の前に遷座され岩上神社と合祀された。
至山稲荷社跡石金山への縦走路は至山山頂を踏んで:至山城を引返し大谷城~田高・北山遺跡~田高坂…への尾根上に明確な曲輪の段差や堀切もなく自然地形に近く相当荒れているので、遺構の確認も難しい…が長い稜線上の数カ所に点在し、
”丹波コミュニティFM805”」放送設備(至山城:城域の西端)東播磨と丹波への玄関口を警備する街道監視・連絡の砦として機能していたのでしょうか?…此処では割愛するが…至山から西方の石金山へ向かう尾根筋最初に出合う二ヶ所の無線中継施設も砦遺構がありそうだが、
至山城の城域西端「丹波コミュニティFM805”」放送設備」直ぐ南上部の曲輪段鞍部からの上り始め山南町梶・黒田庄町田高境界尾根の大谷城(320m)の城域に!!石垣を見て驚くが自然地形の造形。二ヶ所の無線中継施設を下った鞍部が田高坂「寛政8年(1796)建立」の地蔵尊像”が立つ。
大谷城登り尾根筋に見る石垣のような自然の造形の驚く!至山(イタリが端)は丹波・播磨境界の要衝だが三大河の合流地点:播磨~丹波間での難所・要害地を避け:加古川(佐治川)を渡らず往来出来る間道が田高坂等の峠越え間道の通行監視の砦があったのかも!?。更に石金山までに天狗岩や
至山山頂主郭より南尾根筋の最大?段曲輪滝の方展望台からの南尾根(西脇市側)にも播磨・丹波いずれの?国境監視の砦なのか?曲輪(平坦地形)が何ヶ所かあるが詳細不知…至山城だけに留めます。至山山頂(3等 274m)には現在:更地になっているがフェンスに囲まれたNHK山南テレビ
至山城主曲輪に入る西面切岸と上土塁(NHK中継施設造成によるものか?…)中継所があり、北一段下は鉄塔跡だが曲輪があったと思われる。主曲輪西の上土塁状から主郭切岸沿いの帯曲輪が此の鉄塔跡の下部にまで回り込んで延びてきている!。石金山縦走路に引返す西尾根100m程下部には「旧ツーカーホン関西:
旧画像:主郭西正面から北曲輪(鉄塔跡)の西北角まで帯曲輪が捲く!?現在は丹波コミュニティFM”805”たんば」のラジオ放送設備が建つ。至山城は此の「FM805…」施設から至山山頂北の一曲輪・南枝尾根側直ぐ下3-40mに2-3段・更に50m程下部の尾根筋にも広い3-4段の曲輪がある…等:全城域に曲輪(平坦地形)を
三ヶ村井堰:顕彰碑小公園並べるが…堀切?・竪堀・土塁等を見ない?。後は急斜面を黒田庄町船町の上谷の集合墓地と三ヶ村井堰(旧加古川最上流部:永徳3年:1383・南北朝期潅漑目的に許可を得て築かれたが:現在は五ヶ村の黒田庄西部井堰)顕彰碑の間に降立つ。
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