小丸山砦 篠山市
東西に長く延びる篠山盆地の中央部を分けるように篠山川が流れ、篠山川の北側を県道77号(旧延喜式出雲・山陰道)・南側に続く平野部の中央を県道306号(杉池上線)・南方を京街道のR372号(デカンショ街道)が走る。
小丸山砦から八上城を望む(西面)”杉”はJR篠山口駅付近・”池上”は県道77号・306号の合流点。其の約1.2kmで:八上城西前衛の法光寺城砦群の北先端部付近「八上下」でR372号が合流する。東西南北に平野部の拡がる杉・池上間でも東西に走る街道筋と南北の幅が狭まるのが谷山城下の北面。東に約500mの野中地区内に小丸山砦があり南北に走る地道は
県道49号:女畷より野中の小丸山砦と谷山城遠望北に306号・篠山川を隔て篠山城が、南はR372号に出る:東250mの直近に四季山城があり、二城は波多野氏家老の谷山城:平林大膳秀衛の持城とされる…が天正7年(1579)八上城籠城戦になると平林大膳は波多野氏の大老を務めた飛ノ山城(天正6年落城)の渋谷伯耆守氏秀・岩崎城主柳柳原左近兵衛…等と小城を捨て
谷山城から小丸山砦/四季山城八上城に籠もった。小丸山砦はR372号(デカンショ街道・京街道)の木枕交差点に出る野中集落内の:城南郵便局と篠山警察署城南駐在所の間・市立城南小学校の西向かい:比高30m足らずだが東西からは釣鐘状の極小独立丘陵上にある。
小丸山稲荷神社参道東正面に八上城を望む谷山城東口の監視適地?の独立丘陵で・西正面の圃場を挟み谷山城山麓に城主:平林大膳の居館があり、谷山城搦め手道が通じていたのかも…?。空き城の二城は明智軍にとっても付城の絶好地なので利用したと思える。
西は丹南篠山口ICから東は八上城下まで:篠山盆地の平野部が拡がり間を遮る丘陵部はなく、306号沿い南側丘陵部は宇土観音・岩崎城・谷山城域の法福寺と此の小丸山砦・京街道(R372号)傍に四季山城・後は西八上の八上城西前衛となる
腰曲輪から主郭法光寺城塞群まで遮るものがない。此の間で南北が狭まる範囲に小丸山砦・谷山城・岩崎城がある。八上城籠城戦の終焉・開城間際に老若婦女子が逃れた落城悲話を伝える女畷・乙女塚の西詰めに小丸山砦がある。郵便局の隣から赤い鳥居が立つ急な石段道が下草や木の根が張り出し随分粗れてきた参道は
腰曲輪北角からの竪堀?状虎口?状を抜け山上部に祀られる「正一位小丸山稲荷神社」境内に入る。主郭西に小広い腰曲輪(「長者八剱神社」小祠があった筈…だが見当たらない…?(建速須佐之男命・日本武尊命・大伴武日命…)ら男神・武人を祭神に奉るので!?
主郭北切岸下部の帯曲輪?戦勝・必勝祈願・城守護神として祀られたものか?。腰曲輪は北側に回り込む様だが、城域南北は山容が示す極急斜面で立ち消え・北下方に小曲輪が一つ。残土・残石類を見ないが山裾は急斜な藪地傍が地区道・東直下に個人墓?や宅地が迫る為、土砂崩れ防止改修されているのかも?。
主郭北:切岸10m程は自然地形or土取跡か?腰曲輪西下方は灌木・藪中に行く条か南方へ踏跡が交錯するが山上に入る踏跡はなさそうで灌木尾根筋先端付近は果樹園?。山裾は西正面の平林大膳館前まで圃場が拡がる為:西斜面全体が圃場整備等の土取り?…等で改変しているのかも?
小丸山砦から八上城を望む(西面)”杉”はJR篠山口駅付近・”池上”は県道77号・306号の合流点。其の約1.2kmで:八上城西前衛の法光寺城砦群の北先端部付近「八上下」でR372号が合流する。東西南北に平野部の拡がる杉・池上間でも東西に走る街道筋と南北の幅が狭まるのが谷山城下の北面。東に約500mの野中地区内に小丸山砦があり南北に走る地道は
県道49号:女畷より野中の小丸山砦と谷山城遠望北に306号・篠山川を隔て篠山城が、南はR372号に出る:東250mの直近に四季山城があり、二城は波多野氏家老の谷山城:平林大膳秀衛の持城とされる…が天正7年(1579)八上城籠城戦になると平林大膳は波多野氏の大老を務めた飛ノ山城(天正6年落城)の渋谷伯耆守氏秀・岩崎城主柳柳原左近兵衛…等と小城を捨て
谷山城から小丸山砦/四季山城八上城に籠もった。小丸山砦はR372号(デカンショ街道・京街道)の木枕交差点に出る野中集落内の:城南郵便局と篠山警察署城南駐在所の間・市立城南小学校の西向かい:比高30m足らずだが東西からは釣鐘状の極小独立丘陵上にある。
小丸山稲荷神社参道東正面に八上城を望む谷山城東口の監視適地?の独立丘陵で・西正面の圃場を挟み谷山城山麓に城主:平林大膳の居館があり、谷山城搦め手道が通じていたのかも…?。空き城の二城は明智軍にとっても付城の絶好地なので利用したと思える。
西は丹南篠山口ICから東は八上城下まで:篠山盆地の平野部が拡がり間を遮る丘陵部はなく、306号沿い南側丘陵部は宇土観音・岩崎城・谷山城域の法福寺と此の小丸山砦・京街道(R372号)傍に四季山城・後は西八上の八上城西前衛となる
腰曲輪から主郭法光寺城塞群まで遮るものがない。此の間で南北が狭まる範囲に小丸山砦・谷山城・岩崎城がある。八上城籠城戦の終焉・開城間際に老若婦女子が逃れた落城悲話を伝える女畷・乙女塚の西詰めに小丸山砦がある。郵便局の隣から赤い鳥居が立つ急な石段道が下草や木の根が張り出し随分粗れてきた参道は
腰曲輪北角からの竪堀?状虎口?状を抜け山上部に祀られる「正一位小丸山稲荷神社」境内に入る。主郭西に小広い腰曲輪(「長者八剱神社」小祠があった筈…だが見当たらない…?(建速須佐之男命・日本武尊命・大伴武日命…)ら男神・武人を祭神に奉るので!?
主郭北切岸下部の帯曲輪?戦勝・必勝祈願・城守護神として祀られたものか?。腰曲輪は北側に回り込む様だが、城域南北は山容が示す極急斜面で立ち消え・北下方に小曲輪が一つ。残土・残石類を見ないが山裾は急斜な藪地傍が地区道・東直下に個人墓?や宅地が迫る為、土砂崩れ防止改修されているのかも?。
主郭北:切岸10m程は自然地形or土取跡か?腰曲輪西下方は灌木・藪中に行く条か南方へ踏跡が交錯するが山上に入る踏跡はなさそうで灌木尾根筋先端付近は果樹園?。山裾は西正面の平林大膳館前まで圃場が拡がる為:西斜面全体が圃場整備等の土取り?…等で改変しているのかも?
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