うどん屋「白椿」 篠山市
カフェ”白椿”は一端閉鎖していた旧ブログ・グルメサイトに20年程前紹介していた…が近年?「うどん屋と野良着屋手仕事塾」となり、”野良着屋”の木看板が掛かる「手縫いの裁縫塾」側の玄関が嘗てのカフェ「白椿」玄関口だったが
旧篠山街道の入口からは暖簾の架かる手前にもう一つ入口!が「うどん屋 白椿」。駐車場は街道筋向かい側に広い駐車スペースがある。篠山街道は京都府側の亀岡・園部方面から天引峠を越え篠山市街地へ入ってくるR372号は淀山城から八上城
城下西で国道を分け県道77号(篠山山南腺)が篠山城を抜け・大山川が篠山川に流れ出る大山城近く「大山下」でR176号と合流。北上するR176号とは粗併走する大山川沿い・大山小学校近くには大山地区の伝統食「とふめし」の結良里があった。
酒蔵・神田神社前交差点は右折すると直ぐR176号に出て大山振興会集積所やヒマラヤンワルツがある。先の酒造蔵・神田神社間を直進する集落内の狭い車道(篠山街道)を直進。長屋門を構えた大庄屋屋敷?で長屋門を潜ると”カフェ:MOCCA”
ユキワリイチゲ
此処迄は左右の古民家が宿場町風情を醸す。左手山裾の雑木林にはスプリング・エフェメラル(な早春)の花々「ユキワリイチゲ・アズマイチゲ・セツブンソウ…」が追手神社まで続き、その先:追入神社は明智光秀の金山城登山口。
旧道(篠山街道)から金山城を望む
”丹波攻め”明智にとって八上城・黒井城を分断・監視出来る篠山街道・山陰道の要衝、鐘ヶ坂・瓶割峠の監視には登山口から国道を挟む東丘陵にも追入砦(仮称)・金山城の尾根西には馬頭砦(仮称)があり、丹波市側柏原町小倉付近が俯瞰できる。
鐘ヶ坂公園:旧R176号(廃道)の昭和トンネル手前
馬頭砦からの境尾根筋を南下する高畑山付近から大山宮・大山上集落への枝尾根上には大山宮西城(仮称)・大山宮城(仮称)があり大山荘園領主・新補地頭として来住の中澤氏の城砦群…金山城は此れ等砦を明智軍の本陣として改修されたものか?。
大山宮の追手神社にある大木はR176号線からも良く目立つ存在で、日本一の千年モミと並ぶ 夫婦イチョウ(樹齢約300年)と太く高く堂々としたムクノキがあるが、神社内や周辺には丹波に春を呼ぶ可憐な草花が突然の雪に驚きながらも淡い
花びらを震わせながら咲き出す。「白椿」は当初:早春の花巡りで訪れたカフェだった…。追手神社前で旧街道の趣が遺る篠山街道を南へ進めば、今は自家製麺「うどん 白椿」の幟旗が数本立つので目に付く。以前はカフェ内から北面に拡がる
白椿セット:黒豆ご飯/タマネギかき揚げ…田圃・山裾にスプリング・エフェメラルの花々が短命ながら精一杯競い咲いているのが見えた筈?。謂われ有りそうな追手・追入神社は金山・金(鐘)に纏わる昔ばなし・神社間の小谷川の”別れ路の橋”は情熱の歌人:和泉式部が我が子(小式部内侍
”大江山 いくのの道の遠ければ…”で知られる歌人)と此処で別れた話。伊能忠敬が篠山街道の鐘ヶ坂や春日町国領へ抜ける瓶割峠の測量碑・石室が露呈する町浦古墳、鐘ヶ坂トンネルは明治・昭和・平成三代のトンネル…等スポットも点在する。
旧篠山街道の入口からは暖簾の架かる手前にもう一つ入口!が「うどん屋 白椿」。駐車場は街道筋向かい側に広い駐車スペースがある。篠山街道は京都府側の亀岡・園部方面から天引峠を越え篠山市街地へ入ってくるR372号は淀山城から八上城
城下西で国道を分け県道77号(篠山山南腺)が篠山城を抜け・大山川が篠山川に流れ出る大山城近く「大山下」でR176号と合流。北上するR176号とは粗併走する大山川沿い・大山小学校近くには大山地区の伝統食「とふめし」の結良里があった。
酒蔵・神田神社前交差点は右折すると直ぐR176号に出て大山振興会集積所やヒマラヤンワルツがある。先の酒造蔵・神田神社間を直進する集落内の狭い車道(篠山街道)を直進。長屋門を構えた大庄屋屋敷?で長屋門を潜ると”カフェ:MOCCA”
ユキワリイチゲ
此処迄は左右の古民家が宿場町風情を醸す。左手山裾の雑木林にはスプリング・エフェメラル(な早春)の花々「ユキワリイチゲ・アズマイチゲ・セツブンソウ…」が追手神社まで続き、その先:追入神社は明智光秀の金山城登山口。
旧道(篠山街道)から金山城を望む
”丹波攻め”明智にとって八上城・黒井城を分断・監視出来る篠山街道・山陰道の要衝、鐘ヶ坂・瓶割峠の監視には登山口から国道を挟む東丘陵にも追入砦(仮称)・金山城の尾根西には馬頭砦(仮称)があり、丹波市側柏原町小倉付近が俯瞰できる。
鐘ヶ坂公園:旧R176号(廃道)の昭和トンネル手前
馬頭砦からの境尾根筋を南下する高畑山付近から大山宮・大山上集落への枝尾根上には大山宮西城(仮称)・大山宮城(仮称)があり大山荘園領主・新補地頭として来住の中澤氏の城砦群…金山城は此れ等砦を明智軍の本陣として改修されたものか?。
大山宮の追手神社にある大木はR176号線からも良く目立つ存在で、日本一の千年モミと並ぶ 夫婦イチョウ(樹齢約300年)と太く高く堂々としたムクノキがあるが、神社内や周辺には丹波に春を呼ぶ可憐な草花が突然の雪に驚きながらも淡い
花びらを震わせながら咲き出す。「白椿」は当初:早春の花巡りで訪れたカフェだった…。追手神社前で旧街道の趣が遺る篠山街道を南へ進めば、今は自家製麺「うどん 白椿」の幟旗が数本立つので目に付く。以前はカフェ内から北面に拡がる
白椿セット:黒豆ご飯/タマネギかき揚げ…田圃・山裾にスプリング・エフェメラルの花々が短命ながら精一杯競い咲いているのが見えた筈?。謂われ有りそうな追手・追入神社は金山・金(鐘)に纏わる昔ばなし・神社間の小谷川の”別れ路の橋”は情熱の歌人:和泉式部が我が子(小式部内侍
”大江山 いくのの道の遠ければ…”で知られる歌人)と此処で別れた話。伊能忠敬が篠山街道の鐘ヶ坂や春日町国領へ抜ける瓶割峠の測量碑・石室が露呈する町浦古墳、鐘ヶ坂トンネルは明治・昭和・平成三代のトンネル…等スポットも点在する。
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