間子の七不思議 多可町中区

県道86号:多可柏原線を丹波市から岩尾城を望み小野尻峠を越え、思い出川沿いに多可町中区の”牧野”続いて鍛冶屋交差点に出る。思出川は多可郡の語源の一つとも云われる大男「あまんじゃこ(天邪鬼?)」が流した涙でできたという伝説もある…。
       「まちの駅たか」の駅長は”あまんじゃこ”のタカ坊
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牧野交差点を左折すると思出川とバイパスが田園風景の只中に並行しR139号線に繋がる間子(まこう)で”かつら大橋”を渡り中村町を結ぶ。直進すると嘗て”JR加古川線鍛冶屋支線”鍛冶屋駅前の商店筋でカフェKaji家・抜け出た「岸上」にハワイアンカフェRirihaがあり、南下すると杉原川を渡り多可町役場前に出る。
       「かつら大橋」と森本城(霞ヶ城)
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杉原川は下流400m程でかつら大橋更に200m程で目前に城山森本城が聳え立ち西麓を流れる思い出川に合流する。杉原川を跨ぐユニークな橋の親柱に間子の七不思議プレートがある「加都良(かつら)大橋は(近くには全国に6社しかなく:うち中町に3社ある加都良神社に由来する)橋の新設では一般公募された
       かつら大橋の親柱に珍しい…「雀の像」は全国でも此処だけ!!と云う
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間子のすずめ橋」の愛称があり黒御影石の親柱には伝説の歩くスズメのブロンズ像だが、雀の像自体が全国で此処だけ・・。歩道の中央には塩谷(しほや)の馬の蹄形をデザインしたタイル装飾がある。間子の入口に塩屋という出水がある。
        ”思い出川”は森本城山麓で杉原川に合流する
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田園風景と間子・岸上周辺の集落内を東西南北に割るように1~2mの細い川や溝が縦横に走り、いずれも田や民家へは 其の溝を越えないと行けず小さな石橋を多く見かけるが、昔は隣家へ行くにも石橋を渡らなければ行けなかったほどで
        県道沿い:岸上公民館付近の疎水と八百八橋の小橋群?
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石橋が八百八橋あって此れも七不思議の一つ。間子は思出川・杉原川の合流地点近くに7ヶ所の湧水があって断層下部より清水が噴出する「しほや」は渇水期にも枯れず七ッ湯とも呼ばれる霊水は尊ばれ間子の蓼(たで)は年中青々として冬でも
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枯れることがない
!!。”間子のすずめ”は此の豊富な水の為・泥田で足をとられて飛べず、ピョンピョン跳ねずに、トコトコと歩くという伝説に由来する加都良大橋”すずめ橋”。三本足だったとも?…雀像の足までは確認しなかった…。泉は地下水の汲み上げが盛んになり昭和50年頃には枯渇したが、
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循環バス停「間子」に町の文化財として小公園・案内板や”しほやの足跡”の平たい石が残されている。「塩屋の蹄(ひずめ)跡」と呼ばれる平坦な岩の表面に”馬の蹄形”があり、領主のお姫様が馬で遠出し出水へてやってきた際此処で馬に
         しほやの足跡(お姫様と馬の蹄跡と伝わる!
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水を飲ませようと水を汲みに降りた時、お姫様の足跡と馬の蹄形が残ったと云われるがお姫様は裸足だったのかな!?。八千代区野間城のお姫様だったら話としては面白いですね。野間山城から光竜寺山城(とんだ山・都南山)へ馬で飛んだというお姫様で此処にも、その馬の蹄跡が岩にあるという…が!?。
      「かつら大橋」中央付近の歩道にも馬の蹄モニュメントがある
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間子の東にある通称:石の子山の岩から小指大の円形の石が出て、石が子を産む…此の石を持っていれば子が授かると云われる。五月幟(鯉のぼり)を間子ではあげない…!とも。此の地に逃れてきた落武者が節句幟を上げると・旗挙げの標となり攻めて来られるのを恐れてと… 五月節句に鯉のぼりをあげない…と。

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