巳年Ⅱ:蛇山岩尾城と蛇ない 丹波市

謹賀新年2025 巳  巳の年:年殊に”乙巳”の人は:知性や直感緑芽鋭く・物事の本質を見抜く能力があり、忍耐強く他人との協調もあり、忍耐強い…等が組み合わさった性格だといい!…「景気良く・物事に対する忍耐と努力は成長・健康・長寿…
      新藁で綯われた大蛇は「蛇ない」神事終了後奉納され大歳神社に架けられる
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…と万事物事を安定させていく」縁起の良さを表しているといえそうです…が、関西圏でも「巳や蛇」を冠する干支の山・干支の山城…は少ないですね。地元(兵庫県丹波市)の山南町には蛇山:和田岩尾城がある。  
          岩尾城(中世)古城の土塁囲曲輪    
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丹波市内の石垣の城は三郡「氷上郡(丹波市)・天田郡()福知山市)・何鹿郡(綾部市)」を領した荻野悪右衛門直正黒井城がよく知られる存在ですが、黒井城支城として北播磨側の最前線にあった岩尾城の総石垣の城砦遺構は圧巻です。
         岩尾城(近世)石の城天守台より蛇山山頂の大土塁
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共に”丹波攻め”に落城後再構築され黒井城は明智光秀の家臣:斉藤利三・岩尾城は比叡山の法師:木戸十乗坊(佐野下総守)による近世築城様式による再建だ。室町中期の至徳2年(1385)信濃国南和田より地頭として入部した谷氏による
           近世岩尾城の主郭部石垣天守台
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土の城(古城)と佐野氏の石の城(近世の城)が遺る貴重な史蹟。4代目谷出羽守頼衡に子がなく、同郷の士で頼衡を頼り寄食していた和田日向守齋頼(ひとより)を婿養子としていたが家臣の讒言により養父頼衡を刺殺し当主となり
      「梶城山供養碑(現在は堂宇背後):古城主:谷頼衡の五輪塔・夫人の碑は菩薩像!?
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永正13年(1516)蛇山山頂に城郭を完成させ・永正15年(1518)には市場村を移し和田村と名付け城下町を形成。大永2年(1522)には金屋(井原)井堰を築く圃場への潅漑開拓”井原梶耕地を拓き用水路東溝(ゆ)を比丘尼田まで導水開通”事業も施してる。
         梶耕地の土地改良記念碑と石樋
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比丘尼田とは「梶の城山(日向守齊頼の義母”が庵に籠った”状山”の南麓一帯か?)。しかし殺害した養父の亡霊に取憑かれる悪夢に悩まされ、家臣の妻が蛇の子を宿したり…と岩尾城の不足の災禍が続き齋頼は不遇の生涯を終えたと云う。
           二ノ丸大手口(西曲輪)から天守台へ
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丹波市で蛇:巳に関連するものに…春日町の黒井城下に明智軍との沼田・葦原のなかの合戦による”白蛇伝説(葦原明神)、山南町の蛇山和田岩尾城にも養父を殺害する下剋上”荻野直政も義父を討ち黒井城主となり“悪右衛門”を名乗っている。
            「打ち込みはぎ」工法もみられる
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信州(長野県)南和田村より来住し谷氏の婿養子となった同郷の和田日向守を名乗った齊頼は、悪夢に悩まされ家臣を惨殺する等…家中にも異変が次々おこる。家臣の妻が”蛇の子”を産む”猟奇伝説”がある。岩尾古城の城主に関連があれば関西圏では
             応地の石造双体道祖神
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珍しい応地の石造双体道祖神の存在も合点がいく…但し造立時期は江戸時代中期のものとされる…が。伝統行事応地の蛇ないが行われる応地集落:大歳神社は岩尾城北東山裾から古城:土の城への搦め手口か?。道祖神は集落の村境や峠にあるが
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安泰・通行の安全や一家の息災・悪霊の侵入を防ぐ守護神”田ノ神”同様に子孫繁栄・五穀豊穣をも祈願する村の守り神。応地大歳神社摂社(薬師堂か?)と参道の松に親子の藁綯いの親子蛇?が架けられているが蛇(巳)も子孫繁栄・五穀豊穣を祈願。
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加えて”蛇ない”伝説からも・子供の成長・健康・安全を見守り続けている様です。猟奇的な岩尾城伝説に対比し:応地の”蛇ない”は【応地集落を流れる昔の旧佐治川(加古川)は大雨による増水で度々氾濫・川向こうで遊んでいた子供達が急な大雨で
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増水し急流となり橋も流され村に戻れなくなったとき現れた大蛇が胴体を橋の代わりにして子供達を村に返してくれた】村人達は大蛇に感謝し、村入口の松に蛇を模した藁で綯った造り物を架け氾濫が起きないよう魔除け・厄除けとした…

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