Ⅱ 波賀野出雲神社上ノ砦 篠山市

Ⅰ:酒井郷の山城と酒井一党は相模国大住郡酒井郷?から地頭職を得て来住した国人領主:酒井氏一族の本拠城とも云える油井城の南西麓はR176号が通じ摂津:三田から国境の日出坂峠・播州:西脇・加東市方面から不来坂越で篠山盆地に入る玄関:要衝の地「古市」はR176号(丹波街道)・R372号(京街道)の合流地点。
            波賀野出雲神社から矢代・栗栖の方面
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白髪岳・高仙寺山(松尾山城・酒井氏城)を濫觴に天神川が住山を経て武庫川に流れ出地点には古森・油井がある。松尾山城は八上城を護る多紀郡最南端の砦として:油井城と共に酒井郷の酒井党一族が拠る最後の詰め城!で、播州西脇市・丹波市方面からも味間経由でR176号:JR福知山線篠山口付近(大沢)に繋がる。       
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犬飼(犬甘)・矢代経由で栗栖野・波賀野へと「酒井氏所領の荘園:犬甘保・油井保・主殿(とのも)保<当野…>があり、R176号・R372号(デカンショ街道)と天神川が油井城西山麓を南へ抜けR372号の波賀野出雲神社付近を武庫川が当野から油井城東山麓を抜け出たところで天神川が合流する。山々に囲われるなか
         武庫川と天神川が合流する神橋からの油井城(正面)
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”—を画する”独立丘陵の南端に油井城・北のR372号東端に波賀野出雲神社が鎮座する。平安時代初期:淳和天皇の(824ー834)天長7年(830)10月出雲大社を勧進し創建されたと伝え、堀河天皇の長治2年10月17日(1105)社殿を再建し出雲杵築大社の分霊と遷座・祭神:大国主命。神社境内一隅の大日堂(?神社の神宮寺?…)の横から
      アンテナ山から388m峰:尾根続き下方先端が油井城
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激急斜面の尾根筋に取付くと幅狭い尾根上に波賀野出雲神社上ノ砦270mがある。酒井氏の本拠:油井城が位置する独立丘陵部を除き周辺に酒井一党の幾つかの城はあるが、丘陵部北西山麓には要衝:古市の地に不来坂名無し木等義経道の伝承や其の案内板の立つ背後の稲荷・愛宕社の丘陵部や古市駅前から古市街道を抜け
           波賀野新田城の雛壇状段曲輪群北先端部
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R372号に合流する地点の263m極小独立丘陵に城郭類似遺構はあるが、共に神社域・鉄塔跡…等により不明。要衝「古市」の物流・通行を警護する城砦は未発見…!!。高仙寺城(酒井氏城)東の谷には矢代酒井党から出た波賀野酒井党:右衛門兵衛が永禄年間(1558-)築いたとされる波賀野城がある
           波賀野出雲神社上ノ砦の北先端部段曲輪
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R176号・R372号・JR線を挟んで南方約6-700m、406m(アンテナ山<仮称>)から東へ延びる支尾根筋から粗北方に流れ落ちる枝尾根先には扇状に拡がり段曲輪群を持つ波賀野新田城(310m付近)・其の東約300m:主尾根から延びる東北枝尾根端に波賀野出雲神社上ノ砦(270m)があった(遺構から波賀野城に呼応する城砦か…続)

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