津居山城(Ⅰ:奈佐日本助の城) 豊岡市

北近畿豊岡自動車道の日高北ICを過ぎると八代川を跨ぎ、藤井東城へ取付いた竹貫トンネルの入口部。東への車道約1.3km程にJR国府駅。竹貫続けて上佐野トンネル(上部の尾根筋に水生城・竹貫城がある)をぬけると但馬空港ICだが自動車道は戸牧トンネルを抜け豊岡出石ICまで延びている。
         八幡神社(居館跡南先端曲輪)から津居山湾を望む
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右折すれば直ぐ公立豊岡病院裾のR426に繋がり東へ(300m程)短いトンネルを抜けると豊岡市九日市に出て出石方面への円山大橋をわける。但東町から出石町・九日市へとR426号は山陰地方と京都を結ぶ交通の要衝(京街道)だが円山川河口から日本海への舟運による交易路も津居山湾(港)や波浪を避け
         津居山城・居館登城指標の照満寺
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津居山西麓の運河状?”瀬戸水門”から津居山港に入り円山川河口の城崎楽々浦・上流の玄武洞・豊岡市街地の船町・大磯町・塩津町の名は西周り北前廻船が円山川を何処まで遡ってこれたか不詳だが塩津町を囲む運河状は旧河川名残か?、北へ抜け…円山川に繋がっているが、規模の大きな船溜まりがあり九日市に繋がる。
        登城口:八幡神社(津居山海関所・津居山城居館!)
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R426号は九日市から公立豊岡病院前で右折し、但馬空港山麓北方を奈佐谷(川)が豊岡市街地北方の一日市で玄武洞付近の円山川に流れ出る支流。奈佐氏先祖の地(本拠?)奈佐谷からも円山川へは高瀬舟…河口の湊や日本海に通じて廻船輸送…積荷自体の売買を業としていたか…?。
      神社境内の石造九重塔(但馬最大級(全長5.6m)・鎌倉中期の石造遺物)
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奈佐氏は但馬日下部氏の庶流といわれ、山名四天王の一:八木氏の新大夫安高の二男:五郎高重が(現豊岡市奈佐谷)を安堵され嫡男:左衛門尉高盛が当地名から奈佐氏を名乗っている…が「校補但馬考」に朝鮮・申叙舟の海東(朝鮮からみて海東は日本)諸国記による…「源国吉・丁亥年(室町中期:応仁元年<1467>)
    本殿北の「亀塚」供養碑より繁栄・大漁祈願「津居山湊」を詠込む詞が刻まれる
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使いを(朝鮮)に遣わし来たりて舎利分身を賀せしむ。書に但馬州津山関((津居山海関所)佐々木兵庫助源国吉と称す」…参考:”兵庫県の中世城館・荘園遺跡(県教育委員会昭和57年)”によると往時:津居山港の領主佐々木国吉の居城
    津居山城・三角点峰159m間の広い鞍部に建つ本如上人碑(勧進行脚による足跡か?)
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(標高50m八幡神社境内の居館遺構)で背後の最高所113m津居山城(小字名:カサノシロ・サルガシロ)を詰め城とされているが堀切・土塁らしきものの残存を確認はされている。津居山城の築城年や城主は定かではないが「海関所」としての初期(南山麓の八幡神社が館跡)領主:佐々木氏の城か?。
     本如上人碑から日和山海岸の浦島太郎伝説:後ヶ島(日和山竜宮城)を望む
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但馬守護:山名氏の衰退に台頭する家臣団重臣の垣屋氏か?、円山川右岸(港大橋を東へ渡る津居山湾)の東南端に”田結”があり、山名四天王の一:田結庄の勢力や…津居山を水軍本拠として移ったのも先祖:八木氏もまた四天王の一で当地:奈佐氏を名乗っている…が城史の詳細を不知…津居山城(Ⅱ:気比の城!?)に続く

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