加都南城と加都城(明王寺裏) Ⅰ 朝来市
金梨山464m北尾根末端部が舌状に流れ出る丘陵部の150m付近から北へ延びる舌状の低丘陵尾根筋は送電線沿いに北東へ方向を変え300m程の緩斜面の丘陵を北近畿豊岡自動車道高架下付近で県道136号の筒江・加都分岐点に其の先端を落とす。
加都南城主郭傍の袖曲輪:自然の造形はまるで石垣!!?筒江城は此の尾根筋の東に突出す短い枝尾根状の先に位置して加都(かつ)城比定?地からは南へ僅か120m程・目の前にある…。此れまで…加都城は兵庫県遺跡地図による遺跡地名表(730575)加都城(朝来市和田山町加都字氷り坂)で城ヤブ古墳群のなかに存在する陣城…
加都南城(陣城!)へは加都諏訪神社から…と思うが諏訪神社背後・加都配水池(金梨山採石場跡?への入口部)付近から取付く加都南城(仮称)225m(和田山町加都:諏訪神社側)が竹田城を正面に臨む古い時代の陣城(シロヤブ古墳群内<加都字氷り坂>の加都城と同時期か?)と思えてきた。
加都城(明王寺背後)へは加都神社から…加都南城に隣接して加都城(140m 和田山町加都:明王寺裏)がある。加都諏訪神社から移動して加都地区中央部の加都神社から加都青空広場(運動公園)に下りると、グラウンド南端に置かれた猪捕獲用らしい?ケージに近づいていくと
青空広場から:加都城明王寺背後の北郭部ケージ内に居る10数羽の烏が騒ぎ出す。ケージ内に置かれた鹿の死体?に群がっているよう…だが?外に逃げ出さない…?。泥濘む斜面にも赤身?が残る鹿の骨が散らばり、良い気がしないまま泥濘みに滑らないよう注意しながら谷筋を
自然地形に近い加都南城だが綺麗な主曲輪北西下の腰曲輪少し進むと左手丘陵の急斜面上に大きく開く切通し(堀切か?)をみる…獣避けフエンスが北郭部を囲い込む様に続いているようだが激斜面を避けつつ南郭部に登り着く…と此処も南先端部は連願寺古墳の墳頂部が櫓台?。
加都城(北郭:土橋で分ける空堀・土塁は喰違・西(手前)は竪堀に)後で地区内の住民に聞くと烏の大群に悩まされての捕獲用は他地区にも置かれているよう…!。勝手に処分できず悩ましい存在ですね。加都城(明王寺裏)からの帰路だったので、序でに加都城(北郭部:明王寺裏・南郭部:連願寺古墳二郭から成る城趾だが地元では知られているようだ…(続)
加都南城主郭傍の袖曲輪:自然の造形はまるで石垣!!?筒江城は此の尾根筋の東に突出す短い枝尾根状の先に位置して加都(かつ)城比定?地からは南へ僅か120m程・目の前にある…。此れまで…加都城は兵庫県遺跡地図による遺跡地名表(730575)加都城(朝来市和田山町加都字氷り坂)で城ヤブ古墳群のなかに存在する陣城…
加都南城(陣城!)へは加都諏訪神社から…と思うが諏訪神社背後・加都配水池(金梨山採石場跡?への入口部)付近から取付く加都南城(仮称)225m(和田山町加都:諏訪神社側)が竹田城を正面に臨む古い時代の陣城(シロヤブ古墳群内<加都字氷り坂>の加都城と同時期か?)と思えてきた。
加都城(明王寺背後)へは加都神社から…加都南城に隣接して加都城(140m 和田山町加都:明王寺裏)がある。加都諏訪神社から移動して加都地区中央部の加都神社から加都青空広場(運動公園)に下りると、グラウンド南端に置かれた猪捕獲用らしい?ケージに近づいていくと
青空広場から:加都城明王寺背後の北郭部ケージ内に居る10数羽の烏が騒ぎ出す。ケージ内に置かれた鹿の死体?に群がっているよう…だが?外に逃げ出さない…?。泥濘む斜面にも赤身?が残る鹿の骨が散らばり、良い気がしないまま泥濘みに滑らないよう注意しながら谷筋を
自然地形に近い加都南城だが綺麗な主曲輪北西下の腰曲輪少し進むと左手丘陵の急斜面上に大きく開く切通し(堀切か?)をみる…獣避けフエンスが北郭部を囲い込む様に続いているようだが激斜面を避けつつ南郭部に登り着く…と此処も南先端部は連願寺古墳の墳頂部が櫓台?。
加都城(北郭:土橋で分ける空堀・土塁は喰違・西(手前)は竪堀に)後で地区内の住民に聞くと烏の大群に悩まされての捕獲用は他地区にも置かれているよう…!。勝手に処分できず悩ましい存在ですね。加都城(明王寺裏)からの帰路だったので、序でに加都城(北郭部:明王寺裏・南郭部:連願寺古墳二郭から成る城趾だが地元では知られているようだ…(続)
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