定山と状山Ⅰ 近接する二城砦 丹波市

篠山川と旧:佐治川(現:加古川上流部)が合流し現:加古川となる”山南町出合”は北播磨:西脇市に入る国境の玄関口:道の駅「山南仁王駅」。仁王駅前のR175号を北へ…加古川(旧佐治川)に架かる井原橋を渡ると直ぐ県道77号(篠山街道)との交差点。
    播磨国境丹波市最南端:氷上回廊(さくら並木街道)入口の”さんなん仁王駅”
画像
大山城近く「大山下」から鐘ヶ坂ー柏原へ越す新?延喜式山陰街道)ではなく、川代渓谷沿いルートを避け(山中岩大師の項:参照)川代渓谷西入口(丹波竜の里公園)で県道77号に合流するルートは、京を逃れた足利尊氏/義詮親子が丹波の久下氏を頼り:岩屋石龕寺に入ったコース。近くには尊氏が逃れ隠れた足利橋(二重川)がある。
        久下氏が一番旗で馳せ参じた尊氏挙兵の篠八幡宮
画像
県道77号沿い:川代渓谷東入口「大山下」にあり大山荘の大山城:中澤氏と丹波市栗作郷:玉巻城の久下氏は共に源頼朝の麾下にあり丹波に地頭として補任された関東武者としての盟友。辺境の丹波の片田舎にあって中央の情報など得にくいなか:尊氏の亀岡:篠村八幡の旗挙げに一番に駆けつけられたのも大山城の中澤氏が
  尊氏が弟直義と争った観応の撹乱:舞台は滝野城(光明寺本堂裏手)の光明寺合戦本陣跡
画像
室町幕府の執事等に…?就任していたものか!?、情報を得ていち早く久下氏に知らせていた為か?話も戻して77号(旧道)足利橋の西60m「井原」交差点でR175号と県道86号の分岐する。R175号は「野坂」から”新田坂”と呼んでいた小峠を越え「北和田・草部」へ下り加古川と併走し氷上町・柏原町に向かう。
  R175号「野坂」交差点から向かう新田坂左端に番守寺城・丘陵西端に梶城山城(仮称)
IMG_9951.JPG
峠への南口(野坂)や北口(草部…等)の田圃の畦に赤いヒガンバナ(曼珠沙華)を多く見掛ける。”新田坂”南口に番守(かもり)寺<現:無住?>、峠の頂部西側には土砂採取で壊滅状態の番守寺城があった。一方:県道86号は加古川(旧佐治川)を船戸橋で山南町前川を繋ぐ。船戸橋からは正面に蛇山岩尾城を望み、
       山口百恵は♪…マンジュシャカ…と原語?で歌う曼珠沙華(ヒガンバナ)
IMG_0023.JPG
北側直近の丘陵上に梶城山城(仮称)がある。番守寺城と梶城山城は県遺跡分布地図に古墳の散布地としての記載はある…が、(仮称)梶城山城は未だ城砦遺構としては認識されていないが、番守寺山城は定山130m・梶城山城(梶城山・状山140mともに「城」に繫がる山名をもつ。何れも築城時期や守将…等城史は不明。
        加古川(船戸橋・梶城山城から正面に蛇山岩尾城を望む
IMG_9927.JPG
R175号新田坂傍の番守寺城(消滅)から堀切を越え西に続く梶城山城の西末端が県道86号が加古川に架かる船戸橋までの尾根筋約400mを城域とした二つの城砦遺構は一城別郭か?。番守寺城側の新田坂は農事/開拓した土地が村や藩の領地となった時代、山を越え南中や草部…?への開墾地に通った道?。
      番守寺山城跡から北播磨国境の旧加古川始点となるイタリ山・山南仁王駅を望む      
IMG_5178.jpg
氷上回廊(加古川沿い)に延喜式(旧)山陰道が通じるが県道86号:船戸橋東詰めから梶城山城番守寺山城の西ー北山麓を廻り込めば・加古川を渉らず/峠越えの上り下りもなくR175号に繋がる。次回以降:岩尾城主:谷氏と夫人の供養碑・谷氏を刺殺し岩尾城主となった婿養子:和田氏の治水事業(梶耕地に井堰を築いた)…等
       状山の名残?か、柱状節理が見られる断崖上部に梶城山城と古墳
IMG_99301.jpg

この記事へのコメント