源頼政の鵺退治 西脇市(長命寺)

R175号を西脇バイパスに入り加古川・JR加古川線を越えトンネルを抜け出た所で板波橋東詰め信号を左折しR175号バイパスを降り、加古側に流れ出る野間川河口の東側丘陵裾に長明寺の山門がある。長明寺から金城山山麓は
          源頼政の鵺退治(長命寺にて)
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軽いハイキング・ウオーキング適地でコース案内標・案内絵図等もあり整備されている様子!?。此のコース入口が長命寺境内の「頼政の鵺退治」像の側からはじまる。南丹市の佐々江・四ツ谷・田原…等五箇荘は平安末期頼政が賜った荘園と云う。
         源頼政と側室菖蒲御前墓碑近く:頼政池より愛宕山
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長明寺と源頼政との所縁は知らないが、鵺を退治した弓の名手源頼政は大江山の鬼退治で有名な摂津源氏の祖源頼光の五代目・源仲政の長男として生まれた。近衛天皇は妖怪”:鵺”の仕業による奇病に悩まされていた。
     頼政・側室菖蒲御前の墓碑と歌碑(辞世の句)が建つ塚前から頼政池(正面奥)
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弓の名人でもあった頼政が退治した矢竹のシノビ竹(舞鶴市)による鵺退治は仁平3年(1153)と二条天皇の応保年間(1161ー63)二度あったと云う。武人ながら歌人としても秀で「千載和歌集」「新古今和歌集」にも撰に入れられ後世に伝えられ
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長明寺では毎年4月「頼政祭」が行なわれ詩吟や舞も披露される。保元元年(1156)鳥羽上皇が崩御すると後白河天皇と崇徳上皇の間で起こった戦闘に後白河天皇に付き平清盛・源義朝・源義康等と共に参戦し勝利し、平治の乱(1159)では
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源氏にありながら平清盛に味方して信頼を得て武人として従三位に叙せられ源三位(げんざんみ)と呼ばれた…が平氏の専横に不満が高まるなか治承4年(1180)以仁王を奉じ75歳の高齢で平氏打倒の挙兵するが計画は露見し宇治で平氏軍勢と衝突し
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平等院「扇の芝」で自刃享年77歳…。宇治川の合戦に梶原景季と先陣を争った佐々木高綱の奉納:多宝塔が黒田庄町の荘厳寺に、加古川線新西脇駅近くには頼政に一人同行した郎党の猪早太の碑が立つ。頼政池畔に花咲かば 告げよといひし 山守の 来る音すなり 馬に鞍おけ(源三位 頼政)の歌碑
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”頼政祭第30回記念(平成21年4月):奥に続く歌碑の道にも建つ”深山木みやまぎのその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり(詞花より)源頼政『深山の花』の題を出されて詠んだ和歌は『平家物語』巻一「御輿振」に引用された歌。

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